『居酒屋兆治』

居酒屋兆治 (新潮文庫)

妻の看病に専念、「居酒屋兆治」惜しまれ閉店
 作家、山口瞳さんの小説「居酒屋兆治」のモデルとなった東京都国立市のモツ焼き店「文蔵」がこの夏、ひっそりと店を閉じた。
 脱サラした店主が妻と2人で切り盛りし、勤め帰りのサラリーマンや地元商店主らに31年間にわたり、親しまれてきたが、妻が病に倒れ、看病のためやむなく決意したという。
 店主の八木方敏(まさとし)さん(69)がサラリーマン生活を辞め、妻のかおるさん(64)と店を開いたのは1975年。
 10人が座ればいっぱいになるカウンターがあるだけのこぢんまりとした店で、方敏さんは、1日に2万円を売り上げると、後は勘定を付けず、客と一緒に飲み始めた。客も端数の釣りは、受け取らず、方敏さんが帰った客を追いかけて返すこともあった。
(9月7日付読売新聞)


国立の「文蔵」については、この記事にあるとおり山口瞳氏の小説『居酒屋兆治』のモデルになったほか、同氏の『いきつけの店』などのエッセイ中でも度々取り上げられていた。
私は山口瞳さんの作品が好きなので、『居酒屋兆治』も読んでいるし、もちろん高倉健さん主演の映画版『居酒屋兆治』も見ている。いずれも思わず目頭が熱くなる、良い作品だった。
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『行きつけの店』によると、「文蔵」店主の八木さんは、こういう方だ。

 八木さんが会社を辞めた。彼は会社の異動で総務部行きを命ぜられた。折からの石油ショックで人減らしをしなくてはいけない。どうやら総務部で首切役人のようなことをやらされるらしい。
「俺には、そんな仕事は出来ない」
 昭和四十九年八木方敏三十七歳のときの事件である。かれはまっちゃん(引用者注・国立にあった屋台)の日塔さんに弟子入りした。一週間だか十日だかの即席修行で八木さんは南武線谷保駅の近くに店を持った。物置を改造した小さな店である。(中略)
 八木さんの細君のかおるさんは驚き、かつ悲しんだ。東京のサラリーマンの奥さんになるつもりで長野から出てきたのに……。しかし、私は文蔵の成功の半分は屈托のない、嘘のつけない、いつまでも可愛らしいかおるさんのおかげだと思っている。

この山口瞳さんの分析が正しければ、やはり奥さんが病気で店に立てなくなった以上、のれんを下げるしかなかったのだということが納得できる。
さらに山口さんの筆は続く。

 私は、以前、文蔵をモデルにして『居酒屋兆治』という小説を書いた。それが映画になり主人公の兆治を高倉健さんが演じた。話が少し飛ぶが、いま、高倉健さんはJRA(日本中央競馬会)のTVCFに出演していて私もチョイ役に引っ張り出された。前半の撮影が終わり、スタッフ一同でナカジメの意味で府中競馬場に集合することになったのだが、そのあとの宴会をどうするかということになったとき、高倉健さんが、一も二もなく、文蔵でやろうと言いだした。そのくら八木方敏さんは誰にでも愛される好人物なのである。それでいて出過ぎるということがなく、むしろ控え目な男である。


「文蔵」開店の年に生まれた私だが、ついに「文蔵」のカウンターで酒を引っ掛ける…という夢は叶わなくなってしまった。