『一茶』

一茶 (文春文庫 ふ 1-2)
藤沢周平の時代小説はほとんど読んだことはないのだが、歴史の表舞台で活躍をした人ではなく、市井に生きた庶民とか、侍でも次男坊や三男坊とか、そういった「負け組」に愛情を寄せて書き取るのが上手な作家だと認識している。『たそがれ清兵衛』とか。
本作はその藤沢氏が描く、小林一茶の半生記。


小林一茶…というと、「痩せがえるまけるな一茶是にあり」とか「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」とか、あと今年の初めにも紹介した「むまそうな雪がふうはりふはりかな」といった句が有名で、これらの句のイメージから、私はこれまで一茶を「弱者に共感を寄せる感じのいい好々爺」と何となく想像していた。
しかしこの小説を読んで、「好々爺」のイメージは吹き飛んでしまった。


一茶は信濃の農民の家に生まれた。幼い頃に生母を亡くし、継母とは不和だったようで、若くして江戸へ奉公に出された。
その後しばらくの足取りは不明で、再び記録上に現れた時には俳諧師になっていた。当時江戸の武士階級を中心に隆盛していた葛飾派というグループに加わり、次第に頭角を現していくのだが、農民出の一茶は派閥の中心にはなり得なかったらしく、地方の有力者たちの元を旅回りし、句会を開いたり俳諧の指導をしたりする見返りとして庇護を受け、細々と暮らしていたようだ。
結局江戸で大成できなかった一茶は50歳で故郷に戻ると、継母とその子供を相手に生家の財産争いを起こし、田畑と家の半分をもぎ取った。そこで死ぬまで句作にふけり、生涯にものした句の数は2万を超えるという。


こうした記録に残る一茶の足跡を元に、藤沢周平は「食うために必死に戦う男」として一茶を捉えた。さらには農民出の一茶を洗練された江戸の俳諧師たちと対比することで、「土着と洗練」「地方と都市」といった視点も提示しているようで、非常に興味深く読んだ。
華やかな俳諧師たちに妬みを抱く一茶を、こんな風に描いている。

 人間がうとましくなると、物言わぬ動物や草木が好ましくなった。一茶はせっせと蛙や蚊、筍や草花の句を作った。中味が変ると、言いあらわす手法にも変化が出てきた。成美に酷評されるのを承知で、わざと広瀬惟然坊をまね、雁起きよ雪がとけるぞとけるぞよ、といった句を作ってみた。こういう言い方まで許してしまうと、あとは句はいくらでも出来た。
 こういう句を作っているとき、一茶はいかにも借り物でない自分の声で、物を句にしているという気がしてくる。成美が言う百姓の地声で喋る気やすさがあった。だがそうしながら、自分が少しずつ道を逸れつつあるのを感じとることも事実だった。