「ダ・ヴィンチ・コード」

ダ・ヴィンチ・コード デラックス・コレクターズ・エディション [DVD]
つれあいとあーだこーだツッコミを入れながら見た。
相当つまらなかったのだが、これは原作もこんなものなのだろうか? 2人とも本のほうは未読なので何とも言えないのだが、好意的に見積もって、原作のヴォリュームを詰め込みきれずに、だいぶ端折った映画になっているのではないだろうか。
またストーリーそのものにしても、テンプル騎士団とかシオン修道会とかが出てきた時点でうんざり。何でもかんでもキリスト教にまつわる秘密結社に結びつけるのは、ヨーロッパではもう常套手段の陰謀説。あと薔薇十字団とかロス・チャイルド家とかフリー・メイソンとか。
ダ・ヴィンチの残した謎だか何だか知らないが、さんざん大風呂敷を広げておいて、要所要所では全くのご都合主義により問題が解決、あるいは危機から逃れる。なんだこれは。
そもそも「ダ・ヴィンチ・コード」なるものが二重の意味を持って(持たされて)いた…と少なくともラングドン教授(トム・ハンクス)は得心するわけだが、これは裏を返してみれば、ことほどさように暗号というものはいかようにも「解読」できるものなのだ。何が正解かは、解読する人が何を求めているかによって大きく左右されるのではないだろうか。
しかも必死に守ろうとしている謎というのが、なんのことはない、「キリストは人間だった」という事実と、「キリストには妻子がいてその子孫が現在も残っている」という事実だというのだから、「え、それだけ?!」ってなもんである。いやもちろん神学的には喧々諤々なんだろうけど、普通に考えれば別に不思議でも何でもない話だろう。そんなことでよくわからない殺人を犯したりして世間を騒がせるのだったら、それはよっぽど問題のある宗教なのではないか。


あと思ったのは、まあ2000年間に渡って守られてきた秘密ということだったが、それだけ文明が続いていなければ忘れ去られていただろうし、隠された場所が宅地開発とかで掘り返されてたら元も子もなかったわけで、そこは古い石造建築が今も残っている欧州ならではのお話だったと思う。
たとえば日本で卑弥呼の使った銅鏡が隠されていたとしても、邪馬台国自体がどこにあったかわからないから、それは永遠に解けない謎になってしまう。もしかしたらバブル期の強引なゴルフ場開発によって、卑弥呼の鎮座していた神殿跡地が、ショートホールの池くらいに成り果ててニアピン賞狙いのボールを吸い込み続けている可能性だって無くはない。
ダ・ヴィンチ・コードは、現物が現代に残されていたこと自体が一番の奇跡(あるいはご都合主義)かもしれない。