エドワード・ホッパーとデビッド・リンチ

id:ozimさんの1月13日の日記に書き込んだコメントの続き。
アメリカの画家、エドワード・ホッパーの絵が好きです。絵に物語があるんですよね。それもうっすらと狂気を漂わせた物語。デビッド・リンチの映画のような。
こちらのページでプロフィール(英語です)と代表作の画像が見られます。
Edward Hopper


画像は「Hotel Room」という絵ですが、この女の人は何故下着姿で本を読んでいるのか、荷物が解かれていないのはいまホテルに着いたところなのか、それともこれから出て行くところなのか、影になっている顔はどんな表情なのか、くつろいでいるのか沈んでいるのか…と、いろいろ想像力がかきたてられます。
ホッパーの絵は、こうした「どういうシチュエーションなのだろう?」といろいろ勘繰りたくなるようなものが多く、そこが好きです。
そうやって「ある一場面の謎」をどんどん深読みして広げていくところが、まさにデビッド・リンチ作品の楽しみ方と相通じているように思います。


ホッパーとリンチの世界に共通点があるという話は、もともとは映画評論家の滝本誠さんの本『美女と殺しとデイヴィッド』あたりで読んだのだと思います。
美女と殺しとデイヴィッド―タキヤンの書き捨て映画コラム100連発+α (映画秘宝コレクション)
要点としては、両人とも「これぞアメリカ」という日常生活(郊外の住宅やダイナーなど)を舞台に一見明るい光景を描きながら、なぜか「明るいアメリカ」ではない、負の世界を画面に滲み出させているところが共通している…ということだったと思います(このあたりうろおぼえなので、あとで本を確認します)*1
それまでホッパーとリンチを別個にそれぞれ好きだった私でしたが、なるほどなあと思いました。


ホッパーの絵を見て引き込まれてしまうのは、最初は「画面は明るいのに寂寥を感じるという矛盾」に惹かれるのだと思っていました。
その寂寥感がどこから沸いてくるのかを考えたときに、現代社会から置き忘れられてしまったもの、弱者?の無言の叫びみたいなものが描かれているからなのかなあと思うようになりました。
そこが、リンチが映画の中で描く、一見平和な日常の裏側に隠されていて、あるとき突然噴出してくる「狂気」に近いものがあると、私は感じます。

*1:で、本を確認してみたのですが、どうやら私の勘違いでした。この本ではエドワード・ホッパーについては特に触れられておらず、わずかに1992年のデビッド・リンチのケーブルテレビ向けオムニバス作品「ホテル・ルーム」(まさにホッパーの絵と同じタイトル!)についての記述の中で、「『ホテル・ルーム』と画家エドワード・ホッパーのイメージの関連具合に関しては『シネ・レッスン2』(フィルムアート社)に簡単に触れたから、そちらも一読を。ホッパーはいずれ一冊かけて論じたい対象である。」という滝本氏のコメントがある(212ページ)のみです。私はこの『シネ・レッスン2』という本は読んだことがありません。となると、滝本氏が「いずれ一冊かけて論じたい」とまで言っているホッパーについての記述を、どこか別の著述の中で読んだのだと思います。