「インランド・エンパイア」

インランド・エンパイア 通常版 [DVD]
デビッド・リンチの最新作。公開当時大騒ぎして*1Tシャツやパンフレットまで買っておいてもらいながら*2、ようやく今頃になって見た。
ある程度は覚悟をしていたものの、想像以上に意味不明。しかも3時間は長い。エンディングのダンスシーンでは、なんだかよく分からない妙なカタルシスを得られたのだが、もしかしたら「ようやく終わった」という開放感だったのかもしれない。
こういうタイプの映画は、物語の意味を深く考えること自体があまり意味がないのだと思うが、若干のヒントと思われたのは、ラストにローラ・ハリングが出てきた場面。ハリングはリンチの前作「マルホランド・ドライブ」で主人公の1人リタを演じた女優さんで、「インランド・エンパイア」も「マルホランド・ドライブ」とそのプレリュードとも言える2作前の作品「ロスト・ハイウェイ」に連なる、いわばリンチの“ハリウッド3部作”のシメを飾る作品なのだということがにおわされている。


意味を追うことに意味がないと言っておきながらあえて意味を求めれば、これは「見る側(観客)」と「見られる側(演じ手)」のあわいをたゆたう映画なのだと思った。それが端的に表れているのは、この映画の一応のヒロインであるニッキーとロスト・ガール(テレビで3匹のウサギ劇場を見て泣いている女性)が抱き合ってキスをした瞬間に、ニッキーが消えてしまう場面。またその直前にあった、ニッキーが誰もいない映画館で自分が映っているスクリーンを見つめるところなども、まさに「見る/見られる」の交錯するシーン。
終盤にやたらと映し出される青白い光、あれは天国か何かを暗示しているのかと思って見ていたのだが、実は映画館のスクリーン側から客席側を見た時に、映写室から投射されている光であったことに気付き、愕然とした。大げさに言えば、この映画を見ている我々の人生そのものが、何物かによって投射されたフィルムなのかもしれない…と、そんな事実を突きつけられた気がしたのだ。


wikipedia「インランド・エンパイア」に書いてあった、この映画のためにリンチが行った街頭PR活動が振るっている(狂っている)。

リンチ本人は映画の事を「トラブルに陥った女の話」(about a woman in trouble)とだけ語っている。また一頭の乳牛と共に行ったリンチ自らによる路上キャンペーンでは「チーズがなければインランド・エンパイアは無かった」(Without cheese there wouldn't be an Inland Empire)と書かれたバナーを展示し、通行人による問いかけには「チーズは牛乳から作られる」(Cheese is made from milk)と説明している。

この街頭PRの模様は以下で見られる。