『ギャンブル依存とたたかう』

ギャンブル依存とたたかう (新潮選書)
まずは以下の項目で、自分に当てはまるものをカウントしてもらいたい。「ギャンブル」というところは、「競馬」でも「スロット」でも「麻雀」でも「株」でも、自分の好きなものを代入のこと。

  • 常にギャンブルが頭から離れない
  • 賭ける金額を増やさないと満足しない
  • ギャンブルをやめようと思うができない
  • ギャンブルをやめているときイライラする
  • 嫌な問題や気分を紛らわすためにギャンブルをする
  • ギャンブルで損した分をまたギャンブルで取り返そうとする
  • ギャンブルをしているのに、していないと嘘をつく
  • ギャンブルに使うお金を工面するために違法行為に走る
  • ギャンブルのために怠業したり、約束を破ったりする
  • ギャンブルで金をなくし、他人のお金にまで手を出す

本書によると、これら10項目のうち5項目以上に該当する人は、病的賭博と診断されるそうだ。
あと、「ギャンブル」という箇所に「酒」とか「クスリ」とか「買い物」とか「キャバクラ」とか、何かを代入してやはり5項目以上該当するようならば、それについての依存の可能性がある。


この本は、日本は欧米(とくにアメリカ)に比べてギャンブル依存に関する問題意識が低く、潜在的には200万人以上居ると思われる依存者が、社会の根底を揺るがしかねないと警鐘を鳴らしている。
作家であり精神科医でもある筆者は、一度ギャンブル依存になると自力で完全に抜け出すのは困難だと言う。それは、日本社会ではギャンブル依存は病気とは思われておらず、ただ単に「本人の意思が弱い」と片付けられてしまうことと、パチンコやスロットのような手軽なギャンブルの機会が日本全国どこでも氾濫しているからだという。これに甘い審査で高金利の民間貸金業者からの借金が加わると、破滅へ一直線に追い込むとする。
実際本書の冒頭は「ある主婦の転落」として、ごく平凡な家庭のまじめな主婦が、何の気なしに入ったパチンコ屋で最初に大当たりしてしまったために、その快感が最後まで忘れられず、どんどん転落していく実話が書かれていた。こんな話は腐るほどあるのだろう。


よく「多額の公金を使い込み、ほとんどは競馬に」とか「奪った金で競輪・競馬に」とかそういった報道を聞くことがある。あれなんかは、事件があってそれをギャンブルにつぎ込むのではなく、ギャンブルで首が回らなくなって事件を起こしているのだろう。


私自身は競馬が好きなのと、一時投機的な金融関連商品にはまっていたくらいで、あと仲間内でゴニョゴニョ…というのはまあ好きなのだが、あまりギャンブル自体に執着はない。
それは何故かというと、自分がギャンブルに弱いから。大勝ちをした記憶がほとんどなく、やればやるだけ損をするのがわかっているので、ギャンブル依存の人にありがちな「あの夢よ、もう一度!」みたいな幻想を抱かないからだ。


この本全体を通して、筆者が経営する病院(依存者を救うプログラムを実践)の宣伝に付き合わされたような気もするが、いずれにせよ、あまり表に出てこない重大な問題ではあると思う。