『料理人』

料理人 (ハヤカワ文庫 NV 11)
秋なので「食」に関する本を読んでいる。
ハリー・クレッシング(謎の匿名作家らしい)のこのミステリは、よくブクオフ105円コーナーで目にするので1冊持っていたのだが、どうもミステリ好きの間ではクラシックとも言える人気作品らしい。「読み始めた」とツイートしたら、即座に先輩から「懐かしい、昔読んだ」というコメントが返ってきた。

もともとは同じ血筋だったが、相続を巡って対立して以来田舎町を二分して統治しているヒル家とヴェイル家。その片方のヒル家に雇われコックとしてやってきたコンラッドは謎の多い人物で、腕前は優秀だが何を考えているのか分からないところがある。
その料理はヒル家はもちろん、対立するヴェイル家の者までも魅了し、やがて両家の若い長男と長女は結婚し二つの家は一つになるのだが…。

町の商店から使用人、ならず者たち、はては屋敷の犬猫まで力づくで手なずけ屈服させていくコンラッド。その魔力を端的に表す一言を、彼はこんなふうにもらしている。

──あなただって、自分の家の食卓の特別料理を町中のコックが作れるとしたらいい気持しないでしょう? その盤自分の家でしている食事は他のどの家のものとも違う、そう思えてこそ本当に愉快なんですよ。それによって、同じ食卓にいる人たちは特別な経験を分け合っているということになり、おたがいの気持が結ばれ、楽しい雰囲気がかもしだされるのです──そう思いませんか?

美食の世界はスノッブの世界でもあり、内輪ネタの世界でもある。関わりさえ持たなければつまらない虚飾に感じるかもしれないが、一度その魅力を垣間見せられて、看過できるほどの強い意志を持っている人間はそうはいない。
しかしまあ、グルメの世界にはまったとしても、たいていの人にとっての弊害なんて、金銭面での浪費とカロリー摂取の過多ぐらいだろうが、ヒル家とヴェイル家にとっては破滅の道となってしまった。
…とはいえ、結局コンラッドが何をしたかったのかはよく分からない。それまでの丁寧な描写に比べ、何だか終章はやや駆け足の印象もあり、読み終えてからもしばらくは頭の中が混乱したままだった。