赤間神宮

さて、みもすそ川公園から下関方面へしばらく歩いて戻ると、海辺に面した大きな鳥居が見えてくる。今回の見学先のもう一つの目玉、「赤間神宮」である。

ここはもともとは「阿弥陀寺」と呼ばれていたそうだが、壇ノ浦の合戦の後、この辺りの古名である「赤間関」から「赤間神宮」と名付けられ、夭逝した安徳天皇の霊をなぐさめている。

向かって右側の門は「水天門」といって、昭和33年に増築されたもの。水の下にも都やありけむ…ということで、竜宮をイメージした門だそうだ。

安徳帝を描いた巨大絵馬。どうでもいいけどこの神社、安徳帝や平家などにちなんだお守りや絵馬が置いてあるのかと思ったらその類は一切なく、あったのはこんなのばっかり…ってどうなんだろう。



こちらは平家一門を祭った、通称「七盛塚」。大将・平知盛平教盛以下の武将、二位尼などが祭られている。

平家の家紋である蝶の紋様。



ところでこの赤間神宮には、この「芳一堂」にもう一人“有名人”が祭られている。その方は…

…ご存知、「耳なし芳一」さんである。
この赤間神宮阿弥陀寺と呼ばれていた頃、琵琶法師の芳一の元に平家の亡霊が夜ごと訪れ壇ノ浦の秘曲を所望していたのを、同僚の僧が芳一の全身に般若心経を書き退散させようと試みた。怒り狂った亡霊は、唯一お経の書かれていなかった芳一の耳をちぎって去っていた…というあの話、実はここが舞台だったのだ。



そういえば赤間神宮には、平家の怨霊が甲羅に憤怒の表情として乗り移ったという「平家ガニ」も飾られていた。最近はめっきり獲れなくなったそうで、地元の漁師さんは「平家の皆さんもようやく成仏されたかな」と言っているとかいないとか…。