スポーツとビデオ判定
6月2日のMLBタイガース−インディアンス戦で、「世紀の誤審」事件が起きた。
タイガースのガララーガ投手が2日のインディアンス戦で、九回二死まで1人の走者も許さない完全試合ペースの快投を演じた。
ところが、あと打者1人というところで、インディアンスの9番バッター、ドナルド遊撃手の放った打球は一、二塁間へ。一塁手のカブレラが捕球し、一塁ベースカバーに入ったガララーガへ送球した。余裕でアウトかと思われたが、一塁のジム・ジョイス塁審の判定はなんとセーフ。この瞬間、チームメートは一斉に頭を抱え、ガララーガは苦笑い。何より、打ったドナルド自身も驚く判定だった。
http://sankei.jp.msn.com/sports/mlb/100603/mlb1006031155005-n1.htm
こちらがその映像(権利の関係上いずれ削除されると思います)。
メジャーリーグでは、ビデオによる判定はホームランの判定の際のみに行われるため、この、スローで見れば明らかにアウトと思われるビデオ映像も、判定の参考とはされなかった。
この件に絡み、スポーツジャーナリストの生島淳氏が、ラジオで「スポーツとビデオ」について興味深い話をしていた。
TBS RADIOキラ☆キラ6月7日 スポーツ・ジャーナリスト生島淳さん
MLBでホームラン判定にしかビデオ判定が導入されていないのは、いちいちアウト/セーフやボール/ストライクの判定にビデオを参照していては、テレビ中継の尺に入らないからなのだが、今回の件を受け、ホームラン判定にこだわらず重要な局面でのビデオ判定を導入を求める動きが持ち上がっているらしい。
ちなみに他のプロスポーツでのビデオ判定の導入例として、以下のようなものがあるそうだ。
- ラグビーでの「トライ」判定
- NFLでの「ビデオチャレンジ」という制度。ヘッドコーチが審判の微妙な判定に対して求める権利で、再審議の結果判定が覆らなかった場合、タイムアウト1回分の権利が剥奪される。
- テニスのイン・アウト判定
- NBAでの試合時間残り2分を切ってからのボールタッチ判定*1
…その他についてはビデオ判定 - Wikipediaを参照のこと。
日本よりも欧米でビデオ判定がより導入されている背景には、あらゆるスポーツを対象とした賭け(Betting)が行われている事実がある。
日本においても公営ギャンブルでは厳格な判定が求められており、競馬・競輪・競艇・オートレースのそれぞれの裁定には、相当昔から審判の肉眼の他にビデオや写真判定が導入されている。先日東京競馬場で行われたオークスにおいて、GIレース史上初の1着同着という結果が生じたが、あれももちろん写真判定の結果によるものだった。
金が賭けられている以上「微妙な判定」で決着するわけにはいかず、実際この日も、フジテレビ系列の競馬中継枠をオーバーしての判定となったため、番組内では判定結果(払戻)が出せなかった。
ともあれ、全世界的にビデオ導入の流れは止まることを知らず、これはつまり、あらゆるスポーツにおいて審判の目が信用されない方向に進んでいるということに他ならない。生島氏は上記のラジオ番組内で、ビデオ判定が浸透することにより審判に対するリスペクトが薄れることを危惧している。
ただ私が思うに、審判への過剰な神聖視もまた禁物なのではないだろうか。
アメリカの4大メジャースポーツ等では、審判には技術や経験に応じて厳格な階級分けがあって、彼らのジャッジすら一つの競技と捉える風潮がある。NBAの審判には背番号が付けられているが、あれはそのまま彼らのランクを表している。そうした土壌があるから、観客は平気で判定にブーイングをするし、実況アナウンサーも「この判定は間違っている」と明言したりする。しかし、たとえば日本でそんなことが起きたら大問題になるだろう。
技術を妄信してもいけないし、人間を過信してもいけない。スポーツの発祥に立ち返って考えるに、今後はより一層選手・審判・そして観客それぞれの立場への「リスペクト」が必要となってくるのではないだろうか。
【追記】
冒頭の「世紀の大誤審」、判定をしたジョイス審判は試合後にビデオを見て誤審を認め、ガララーガ投手に謝罪をした。それを受けガララーガは「誰も完璧ではない(Nobody's perfect)」と答えた。
それで判定が覆るわけではないけれど、この姿勢こそがまさに互いの立場へのリスペクトなのだと思う。