"セシル"をめぐる冒険・その2

最近「映画で見たセシル」といったキーワードで検索してくる人がポツポツいる。
以前、この日記で浅香唯の「セシル」について割と詳しく書いたことがあったのだが、それが検索サイトでかなりの上位で引っかかるようだ。どうやら年末の歌番組で「セシル」の映像が流れたため、気にかかって検索してくる人がいるらしい。
あの時私は、「映画で見たセシルのように 嘘は言いたくない」という歌詞について、「セシルは一体どんな嘘をついたのだろう?」という疑問に駆られてあれこれ調べて書いていたのだが、今日この話をつれあいにしたところ、新たな解釈を提示されて目からウロコが落ちた気がしたので、記しておく。
つまりこういうことだ。
「映画で見たセシルのように 嘘は言いたくない」というのは、「セシルのように嘘をつくのは嫌だ」という意味ではなくて、「セシルのように嘘を言わずに(=自分に正直に)生きていきたい」ということではないか、というのだ。

「セシルのように正直に」という意味とすると、つまりこの歌は失恋したばかりの男の子の隣に寄り添う女の子が、「いまはタイミングとしてはちょっと卑怯だけど、でもやっぱり自分の気持ちに正直にあなたに優しくしたい」という感じなのかな。


しかしまあ結局のところ、「オードリーのように」とか「BBのように」とかいうのと同じで、単にそれらしいイメージを拝借してきただけ…というのが、真実のような気もする。