『バクチと自治体』

バクチと自治体 (集英社新書 495H)
いわゆる「公営ギャンブル」(競馬、競輪、競艇オートレース)の草創期から現在に至るまでを追いながら、「公営ギャンブル」が「公営」たる理由である施行者=自治体側の事情も読み解いていく意欲作。


公営ギャンブルは、もともとは戦後の財政難を解決する起死回生の一手として、全国各地の自治体により次々と開催されていった。今では信じられないが、かつては「やれば必ず儲かる」産業だったわけだ。

 現在まで続く新しい地方自治制度は、戦後になって日本国憲法のもとに誕生した。そのもっとも大きな成果の一つは知事の公選制だった。また、地方自治体は独立した法人として財政運営が可能となった。市町村は固定資産税と市町村税を中心に、道府県は事業税と道府県民税を中心に独立した税体系が組まれたのである。
 しかし、終戦直後のこの時期、地方自治体の財政は発足時点から破綻寸前の状態だった。これを少しでも改善し、財政に寄与する目的で誕生したのが公営ギャンブルなのである。

事実、地方自治法の施行は1947年のことだが、多くの公営ギャンブルもほぼ同時期に開始されている。自分で財布のヒモを握れるようになった新生自治体が、まずは金欠を何とかするために副業を始めた…といったところか。


とはいえ公営ギャンブルは、もともとが貧困層からの搾取という性格が多分にあるものであり、自治体自身が博打の胴元だと晴れて喧伝できないジレンマや、数多くの騒擾事件の勃発等が相まって、常に社会の日陰的存在としてごく静かに広まっていった。
ちなみに、国営である中央競馬特殊法人日本中央競馬会が施行するものであるため、そうした自治体のジレンマをよそにCIやPR活動を盛んに行い、他種公営競技の追随を許さない売上を獲得していくわけである。


こうして「打ち出の小槌」として全国各地で雨後の筍のように広まっていった公営ギャンブルだが、ほとんどの競技はバブル崩壊直後から坂道を転げ落ちるように売上を下げており、単年度決算で赤字に転落している。
宝物を出さなくなった打ち出の小槌はもはや用無しとばかりに、公営ギャンブルには廃止の嵐が吹き荒れている。競馬だけで言っても2001年の中津競馬(大分県中津市が主催)廃止を境に三条競馬・新潟県競馬(いずれも新潟県三条市新潟市豊栄市が主催)、益田競馬(島根県益田市)、足利競馬(栃木県足利市)、上山競馬(山形県上山市)、高崎競馬群馬県高崎市*1などがここ数年でバタバタと廃止された。
廃止の流れは、公営ギャンブルの生い立ちを振り返ればごく自然な流れかもしれない。自治体が主催しているものなのだから、自治体が不要と判断すれば切り捨てられて当然なのだ。とはいえそれぞれの産業に関わって生活している人々や、スポーツ競技としての役割を考えたときに、「じゃあすぐやめればいいじゃん」とも言い切れない。
筆者はひとつの解決策として、「公営」ではなく「民営」にすることを本書の最後に提案している。博打に対する後ろめたさは、「公」だから制約となるのであって、パチンコ産業の例を見るまでも無く、「民」(独立行政法人等の形態も含む)であればハードルはグッと低くなるはずであるというのだ(それが倫理的に良いことかどうかはひとまずおくとして)。官ならではの制約から解き放たれた上で、経営の効率化や積極的なPR活動、インターネット投票の有効活用等の策をとっていけば、最低限の存続は可能なのではないか…というのが筆者の意見だ。
これは私に言わせれば相当甘い見立てのように思えるが、それにしても無策で廃止を迎えるよりはマシな提案のように思える。


いずれにせよ多くの公営ギャンブルが赤字決算に陥り、積立金を取り崩してしのいでいるだけという現状が続けば、これからの10年間でほとんどの競技が廃止に追い込まれるのは必至だろう。
そしてこの本を読んで考えさせられるのは、ひとりギャンブルの将来に限らず、結局のところ地方自治法の施行から約60年を経てターニングポイントを迎えている、地方自治体の財政のあり方そのものなのである。

*1:高崎競馬廃止の際に、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったライブドア堀江貴文社長が「救済」に名乗りを上げたものの、市の提示した期限までにまともな救済案を出せず、結局お騒がせだけで終わった件なども、記憶に新しい。