韻を踏む

今日読み流していたニュース雑誌に、こんな一文があった。日銀の西村清彦副総裁について。

 西村は5月に行われたシカゴ連邦準備銀行の会合などで、90年代の日本と現在のアメリカの「バブル破綻後の経過」を比較してきた。歴史は繰り返すのではなく、韻を踏む──それが西村が唱える説だ。時系列表にはっきり見て取れる符号性は「アメリカの危機と日本の失われた10年の軌跡の著しい類似点」を示しているという。
 (中略)とはいえ、だからといってアメリカも日本のように15年にわたって低迷すると決まったわけではない。似ているのは一連の出来事の継続期間というよりむしろ順序。故に物事はそっくりそのまま「繰り返すのではなく、韻を踏む」のだ。犬は人間の7倍のスピードで年を取るというが、米経済も同じような速度で動いている。
(「Newsweek」誌7月29日号「日本経済は生き残れるか」)

歴史は「繰り返す」のではなく、「韻を踏む」…という表現は新鮮だ。
ここでは出来事の起きる間隔が必ずしも同じではないということを言っているのだが、それならばまさに歴史の節目節目で繰り返される様々な選択と結果も、繰り返しているというよりは韻を踏んでいると言えるのではないか。