『極上歌丸ばなし』
「笑点」大喜利司会でおなじみの桂歌丸師匠が、古稀となり落語家になって55年目の節目を迎えた平成18年に著した自伝。
桂歌丸、本名椎名巌(しいないわお)さんは昭和11年8月14日に横浜の真金町で生まれた。生家は富士楼という女郎屋だったそうで、「赤紙をもらった童貞の若者が出征前の駆け込みで登楼すると、翌朝は必ずお赤飯が炊かれた」などなど、当時の遊郭の様子が事細かに書かれていたのが興味深かった。ちなみに「笑点」でもたびたびネタにされる奥様の冨士子さんは、歌丸師匠の生家のお向かいにあった塗師屋の末娘だったそうで、つまり生まれたときからの幼馴染みだそうだ。
「笑点」はスタート時からのメンバーで(一時抜けた期間もある)、その前身となった番組「金曜寄席」にも出ていたそうだが、そもそもは両番組誕生の仕掛け人だった立川談志が、歌丸の評判を聞いて「金曜寄席」の番組オーディションに呼んだそうだ。
そこで落語以外の芸を何か見せることになった歌丸師匠は、かつて徳川夢声がやったネタをもとに、こんなことをしたそうだ。
紋付着て高座へあがって、黙ってお辞儀して、一言も口きかないでいると、そこへ、前座がもりそばを持ってくるんですよ。で、黙ァったまんま、そのそばを食って、食べ終わって口拭いて、その手拭を懐へ入れて、一言だけ「おソバつさま」って言って、おりてきたんです。そしたら、これが馬鹿受け。
徳川先生のは、あたしも見たことはないんですけど、高座でいろんなことを喋りながら食べたらしいんです。だけどあたしは、何も言わないほうがいいんじゃないかと思って、それでサゲだけ考えて、そのとき初めてやったんですね。度胸がいりましたけどね。談志さんにも受けてましたよ。それでレギュラーメンバーに入れてくれたんでしょう。
この本の中で、江戸落語の分裂騒動についてもちょこっと触れられていた。私自身あまりよく知らなかったので、詳細はwikipediaを参照のこと。
落語協会分裂騒動 - Wikipedia
これどこのプロレス団体の話? …といった感じを受ける話だが、こういうのって結局興行の世界にはつきものなんだな、抗争→分裂→裏切り→衰退みたいな流れ。
こうした落語協会のパワーバランスのなかで大喜利メンバーを見てみると、また微妙な人間関係が浮かび上がって面白いかも(?)。