『日本の名随筆・別巻80 「競馬」』

競馬 (日本の名随筆)
競馬漬け第2弾。
この『日本の名随筆』というアンソロジーのシリーズ、学校の図書館とかに置いてあるのを昔読んでたなあ。本巻と別巻と、それぞれテーマ別に100冊くらい出てるんですよね*1。で、「競馬」の巻は作家の高橋源一郎氏が編者。
織田作之助井伏鱒二吉川英治にはじまり、幸田文山口瞳別役実藤本義一河野洋平宮本輝伊集院静安部譲二寺山修司ら新旧入り乱れた錚々たるメンバーによる、競馬に関するエッセイが収録されています。意外な人が熱心な競馬ファンだったことを知り、驚きました(とくに幸田文)。
興味深いエッセイが並んでいた中で、とりわけ印象に残ったのは次の4人の文章。

堅物の歴史教師・寺田が、あちこちの名士と浮名を流すカフェの女中・一代に入れあげて求婚、奇跡的に受諾される。しかし幸せな結婚生活は一代が乳癌にかかったことにより終わりを告げる。
寺田は仕事をなくし、競馬にのめりこんでいく。そして、妻の形見の着物を質に入れて「これで負けたら最後にしよう」と乗り込んだ淀の競馬場で、妻の名前にちなんだ一番の馬に狂ったように資金を投じていた寺田は、同じように一番に賭けている男と出会う。それは一代が生前浮気していた相手の男だった…。

競馬の持つ破滅的な魅力と、男を惑わす美女の魅力が絡み合う、人情の機微が心を打つ短編。
自分はここまで妻や競馬にいれあげることができるだろうか…と自問しながら読みました。答えは未だ不明。

著者の武市氏は、世界的ジャズドラマーのアート・ブレイキーが来日した折に「競馬が好きか」と聞いてみたことがあるそうだ。するとブレイキーは、ハリウッドパーク競馬場で大儲けした話をして、

「東京には競馬場があるの? 今日レースやってる? 週末だけだって、残念だな。週末はこっちの稼ぎ時だからヒマはないし、でも今度チャンスがあったらぜひ御案内願いたいね。どんな馬が走っているか見たいし、日本人の騎手にも興味がある。きっとジャズメンと同じように器用で、腕がいいに違いない。」

と言っていたそうだ。

ちなみにアート・ブレイキーは「デイリー・ダブル」という種類の馬券が大好きだったそうです。これは、一日に行われるレースのうち、ある特定の2レース(大概は人気の無い午前中のレースのうち2つ)の勝ち馬をそろって当てる馬券。現在のところ日本の競馬には無い種類の馬券です。

  • 初代桂小南 「競馬興行と競馬狂の話」

「大の競馬狂」を自認し、お座敷で競馬ができる機械を自ら発案して特許も申請したという落語家・桂小南氏が、自らの競馬人生を披露。
明治38年、馬券一枚十円時代の根岸競馬場から始まり、馬券廃止時代を経て、馬券のかわりに商品券を景品にしていた公認競馬時代、馬券黙許時代、関東大震災後の馬券一枚二十円時代…と黎明期の競馬と馬券にまつわるエピソードを軽妙に語る。

昔の馬券売り場(いわゆる「穴場」)には、二十歳前後の妙齢の女性が入っていたそうで、「穴場へ二十円突込むと混雑せぬように、其女事務員が此方の手をば暫時握つて呉れる。二十円を取って馬券を握らして返して呉れる、此僅か五秒か六秒の間であるが、二十搦みの美人に一寸温い手で握つて貰つて居る間の気持は、場合に依ると馬なんか負けても構はぬと云ふ気になつてしまふ、是は私丈のことではない。」と言っていたのが面白かったです。

  • 寺山修司 「クリフジはいずこに」「屠殺場の英雄」

日本の競走馬の中には、引退して繁殖にあがる際に名前を変える牝馬がいる。そんな変名をした馬の一頭、クリフジにまつわる思いを語った「クリフジはいずこに」。
芝浦の屠殺場から殺される寸前にタダで農工大乗馬部に引き取られ、学生馬術大会の大障害飛越競技で見事優勝するまでの名馬になったサチハヤの話、「屠殺場の英雄」。

今年の日本ダービーは実に64年ぶりに牝馬が優勝したのですが*2、その64年前に優勝していた牝馬というのが、上記のエッセイに出てくるクリフジ。クリフジは引退してからは「年藤」と改名して、繁殖牝馬となっていたというんですね。
クリフジが優勝したダービー(当時の名称は「東京優駿競走」)の映像をYouTubeで発見しました(ほんとになんでもあるなあ)。馬券購入引換券付き入場券とか、バリアー式スタートとか、64年前の府中第3コーナーの大ケヤキとか、優勝賞品の日本刀とか、なかなか面白い映像が満載なので、ぜひご覧を。

最後のほうでファンに囲まれながら検量に駈けていくクリフジの映像が出てきますが、祝福ムードが溢れていていいなあ…。管理競馬の現在の日本では、ちょっと見られない光景です。

*1:『日本の名随筆』全200冊の各巻のテーマや内容については、出版元の作品社こちらのサイトを参照のこと。

*2:5月27日の日記参照。