砂丘勉強会・その2

先日*1現地学習に参加した鳥取砂丘の勉強会だが、今日はその続きの座学に参加した。


面白かったのは、鳥取砂丘は最近でこそ大事な観光資源となっているが(年間100万人以上が訪れるのだとか)、ちょっと前までは厄介ものだった…という話。
砂丘の歴史は植林の歴史といってもいいくらい、古くは18世紀くらいから、とにかくこの砂地をなんとか耕作地に造成しようという努力が再三再四にわたり行われてきた。しかし「日本一」の起伏ゆえに、何万本もマツを植えても、ほとんど根付かずに枯れてしまったらしい。逆に言うと、日本各地の砂丘は、大体が植林に成功してしまったので、現在ではほとんど宅地や耕作地になってしまったわけだ。
さらに明治の中頃からは、この鳥取砂丘が陸軍の砲兵演習地として使われるようになったため、一般人が立ち入りできなくなり、ますます植林などが行われなくなった。
そういうわけでほぼ手つかずで残った砂丘を、戦後になって県外から見に訪れる人が多くなり、「アレ、これって植林なんてしないでそのまま残しておいたほうがいいんじゃない?」的な流れになって、昭和30年(1955年)に山陰海岸国定公園に、昭和38年(1963年)に国立公園に制定される。
すると今度は、草が生えて砂丘の面積が小さくなるのをなんとかして防ぐ努力が払われるようになったというのだから、皮肉なものだ。


砂丘三景