『真夏の死―自選短編集』

真夏の死―自選短編集 (新潮文庫)
9.11に「真夏の死」というタイトルの本を読み終えたのは、単なる偶然に過ぎない。
三島漬け第9弾。

  • 煙草

学校で年上のバンカラな先輩にあこがれていた少年が(はやくも同性愛モチーフ!)、背伸びして煙草を吸う…という話。
終戦直後に書かれたこの作品は、発表後川端康成の目にとまり、それが三島由紀夫文壇デビューの直接のきっかけになった。
一段落が物凄く長い。後年の三島の文章と見比べると、どうしても散漫な感じが否めないが、それはそれとして物憂げなストーリーによく似合っている。

  • 春子

こちらは同性愛は同性愛でも、三島にしては珍しく女性どうしの同性愛が描かれている。三島自身の解説では、こんなふうに述べられている。

…『春子』は、ほとんど観念上の操作のない、官能主義に徹した作品である。そのこと自体が当時としては異風であり、敬意を欠いた扱いをされるもとになった。『春子』で私の狙ったものは、文学上の頽唐趣味を健全なリアリズムで処理することだったが、これは今日にいたるまで、大体私の小説作法の基本になっている。

…相変わらず何を言っているのやらわかりにくい文章だが、レズビアン小説として物議をかもしたということは想像できる。
春子という未亡人の叔母に妖艶な魅力を感じる主人公の少年の、性の目覚めが主題。ただし少年は童貞は捨てるものの、その先に待ち構えていたもの、自分が恋焦がれていると思っていたものが、錯覚だったと気付いてしまう。そうして少年は、「自分ではない自分」が自分に乗り移って恋を演じる…という感覚を覚える。
それはさながら「仮面をつけはじめた三島由紀夫」そのものかもしれない。

  • サーカス

文庫のページ数にしてわずか8ページと1行の、幻想的な小品。
サーカスの馬乗りの少年と綱渡りの少女の幼い恋、そしてそれを見つめるサーカス団長の屈折した愛情がこの短い文章に詰め込まれていて、舞台が日本なのかどうかも定かではない。江戸川乱歩の世界を思わせる奇妙な空間。

こちらは少年と少女の純愛物語。こんなきれいな作品をさらりと書けるところが、三島の才能だと思う。
ただしその幕切れは実に皮相なものになっている。戦争が終わった後に生き残った者が感じた、一種の脱力感と罪悪感を思わせる、物悲しいエンディング。

  • 真夏の死

この作品はかなりのめり込んで読んだ。
最初に子供2人と女性1人が海で溺れ死ぬ…という悲劇が起こり、いきなりクライマックスが提示される。そうしてその頂点から、逆に悲劇が薄まっていく様を淡々と描写していく。
最初の悲劇の後に、事件らしい事件は起きない。日常が続くだけ。それなのに読ませる。
この作品を読んでいて、あまりに没入していたために、電車に忘れ物をしてしまった*1

  • 葡萄パン

短編集『花ざかりの森・憂国』に収められた「月」という作品に出てきた、ジャック、キー子、ピータア、ハイミナーラ…といった当時の不良少年たちが、ここにも出てきている。石原慎太郎の『太陽の季節』の、もう少し前の時代の不良少年たちの風俗が描かれていて、面白い。
「月」と「葡萄パン」について、三島はこう解説している。

 当時東京ではツウィストが流行しはじめ、ビート・バアがいくつか店を開いた。その一つの店へ通ううち、その店で知り合った少年少女たちの話をきき、特殊な語法に馴れ、隠語を学び、……次第に、かれらの生活の根底的な憂愁に触れて、この二つの短編が出来上がった。この二作品以後、私はかれらについて書いたことはない。多分、かれらの生活は、短編小説の題材にしか適しないのであろう。流行は去り、かれらも年をとり、さらに滅茶苦茶な新しい世代へ代が替ってかれらも、かれらの青春も、一時期の新宿界隈も、そして作者の私自身も、過去に向って埋もれることになった。深夜の流行。浅薄であるが故にいよいよパセティックな流行。……今も私は隔意なく私と附き会ってくれたかれらの一人一人を懐かしく思い起すのである。