本牟智和気御子もろもろ

その後、この「本牟智和気御子(ほむちわけのみこ)」なる人物について興味を覚えたので、ちょっと調べてみた。
本牟智和気御子は第11代垂仁天皇の子で、第12代景行天皇の兄弟。
御子の12代子孫には、藤原仲麻呂恵美押勝)の乱を治め、称徳天皇(女帝)に取り入った道鏡を弾劾し、平安遷都を提言した、昔の十円札の図案にもなっている「和気清麻呂(わけのきよまろ)」という朝廷の忠臣がいる。

本牟智和気御子は、成人しても言葉を発することができなかったが、占いの結果、これは出雲の大国主命の祟りであることが判明。出雲に向かった御子は無事言葉を話せるようになった。
現地で「肥長比売(ひながひめ)」と一夜をともにすることになり、夜にこっそり姫の姿を見ると、なんとそれは大蛇だった。御子は、あわてて大和に逃げ帰ったという。*1


この辺のエピソードは、古代の「出雲←→大和」の権力争いの形跡も見られて面白いのだが、ちょっとうがって考えると、もしかして本牟智和気御子って大陸(半島)系の方だったのではないだろうか?
養子、という表現が当てはまるかどうか分からないが、大陸から来て垂仁天皇の折に大和朝廷の王族に入ったため、大人になっても日本の言葉が話せなかったのでは…?
当時、出雲あたりは完全に大陸寄りの文化だったろう。そこに行ってもう一回日本語の勉強をしてきたのか? それで半島に戻されそうになったか何かで、慌てて大和に戻ったのか? (完全にあてずっぽう)

*1:詳細はこちらのページなど参照。