山口:其中庵(ごちゅうあん)
さてその「其中庵」ですが、もちろん往時の小屋は跡形もなく、いまは行政が整備して庵を復元した「其中庵公園」となっています。
母よ うどんそなへて わたくしもいただきます
其中庵のなか。納戸のなかには仏様。
庵の名の由来「其中一人」の額。山頭火の師、荻原井泉水の親筆。
この公園をウロウロしていたら、近所のおじいさんが現れて、山頭火の思い出を(聞いてないのに)延々と語り始めました…(写真は隠し撮り(笑)したそのおじいさん)。
ワシャ大正13年生まれ。山頭火がここにやってきたのは昭和7年で、その頃は子供の私らとよう遊んでおったよ。
当時から残っとるのは、入り口の柿の木と、ほこらと、古井戸と、それからあそこに見える竹林だけじゃわ。当時はこの辺は山の中で、裏の山で松茸は採れたし、竹林では筍が採れて、そういったもんの他に前の畑でソバだのゴマだの茶だのを作っておったわ。
それだけでは食えんから、あちこちで行乞していたんじゃが、このすぐ下のワタナベ*1の畑で、獲れたもんをもらっておったようじゃ。お礼にといって、懐中から短冊を取り出して一句したためて渡したそうじゃが、そんな短冊が行李いっぱいあったそうじゃよ。
(実際は山口弁)
おじいさんはしきりに「今の景色は昔と全然違う」ということを強調しておられました。当たり前のことですが、「なるほどな」と思わされました。
このおじいさんに聞いた面白エピソード。
山頭火が雑誌に寄稿してもらった原稿料は、郵便局に為替で送られてきたんじゃが、それを取りにいってはすぐに町の酒屋で酒を呑んで使ってしまう。
それで懐に金がなくなると、「つけ馬」といって店の者が其中庵までついてくるんじゃが、まあないモノはない。それでどうするかというと、この下の畑まで来たとき、やにわに上半身裸になって道に仰向けになり、お腹に丸を墨で描くわけじゃ。それでそこをしきりに指差しては手を顔の前で振るんじゃ。
…「腹」と「輪っか」が「無い」ということで、「腹輪(はらわ)ない」ということだとさ。
そんな其中庵での生活も、7年目にして「雨漏りがひどくなったため」終わりを迎えるわけです。
ひとりひつそり 竹の子竹になる
*1:違う名前だったかも。失念。