水滸伝読了

昨年12月のエントリ「水滸伝 - 太陽の塔とか」で「水滸伝を通しで読みたくて杉本苑子版を買った」と書いたが、そういえばなんだかんだ半年ほどかけて全5巻を読み終えた。

 

水滸伝をあまり知らない方のためにあらすじを書いておくと、中国の宋の時代、もっというと遼や金といった北方騎馬民族の侵略を受けていた、徽宗皇帝の時世を舞台にしたフィクション。

世の中は乱れ、官僚組織も賄賂が横行するなか、さまざまな理由でドロップアウトした豪傑女傑たちが、武力により独立自治を築く「梁山泊」というとりでに集まり、義軍として官軍に立ち向かう。彼ら彼女らは、唐の時代に封印された百八の魔星の生まれ変わりで宿命によって集まったとされ、まっとうな人生を送りたかっただけなのに、さまざまな乱世の矛盾によって無法者扱いされてきたエピソードが語られていく。地方の暮らしや男女関係のもつれなど、当時の生活風俗の一端が垣間見られて興味深い。

 

…と、ここまでは普通に英雄群像劇や反乱軍ものとして面白いのだが、問題は、百八の星が全員集合して、押し寄せてくる官軍にさまざまな特技や智謀を活かして大勝利してからの展開だ。

なんと、最終的には朝廷にその力を認められ、正規軍のお墨付きをいただき、北方の遼や南方の一揆(方臘の乱)の討伐軍として使われるのだ。それはそれで八面六臂の活躍ではあるのだが、「さっきまで『朝廷の奸をただす!』とか息巻いてる反乱軍だったのに、手のひら返しで朝廷の犬になってるじゃん…」という残念な感じが否めないのだ。

 

史実としては、宋は金と手を組んで遼を滅ぼすのだが、かえって力をつけた金に攻め込まれて首都開封までを失い、首都を杭州に移して南宋時代になっていく。

梁山泊軍も、北方の遼と南方の方臘を倒すところまでは描かれるのだが、戦いのなかで死んだもの、軍功により官職につくもの、郷里に帰って静かに暮らすもの、そして負け戦とわかりつつ押し寄せる金軍に対するため北方に向かうものなど、将星たちがばらばらに歴史の渦に飲み込まれていく形で物語が終わる。

 

まじめに言ってしまえば、水滸伝の成り立ちは講釈師みたいな人が辻に立って細切れにエピソードを語る講談のような形だったというから、そのときそのときでウケるように話をつないだり膨らましていった結果、全体としてはかなり矛盾のある物語になったということだろう。

いちいちおかしなところを指摘するのも野暮なのは充分わかっているのだが、それにしても情緒不安定なリーダー宋江に率いられた百八の将星たちが、やや不憫になった。梁山泊でそれなりに平和に暮らし、金軍が攻め入ってきたらこれと戦って散っていく…という道もあっただろうが。