『歌舞伎町案内人』

歌舞伎町案内人 (角川文庫)
先日行った「湖南菜館」のオーナー、李小牧さんの自伝的エッセイ集。
バレエダンサー、新聞記者などを経て留学生として来日、ファッションデザイナーを目指し東京モード学園に通いながら特派員としてファッション記事を執筆する傍ら、糊口をしのぐために始めた「歌舞伎町案内人」がいつしか本業となっていくまでの、そして「案内人」として歌舞伎町で目撃し巻き込まれた事件の数々を振り返っている。

 善と悪、平和と暴力、健康と病、正常と委譲、ハードボイルドとマヌケ……こうした相反する事項が綯い交ぜとなって、ぐるぐると渦を巻いている街、それが歌舞伎町なのである。

 思えば歌舞伎町は私にとって「舞台」だった。中国時代、私はプロのバレエダンサーとして無数のステージをこなしてきたが、私にとってみれば「案内人」人生も一種のショーのようなものだったという気がする。高級スーツという「衣装」を身につけ、夜の歌舞伎町というステージに立ち、歩き、走り、跳躍し、踊る。しかし、「観客」はバレエショーを観に来るようなお上品な人々ではない。ヤクザ、ヘルス嬢、キャッチ、外国人ホステス、不良中国人、……こんな超個性的な「観客」たちを前に、私はこの十四年間、夜毎「舞台」で踊り続けてきたのだ。蝶のように舞うこともあれば、鼻から血を垂れ流し地面に這いつくばるようにして踊ることもあった。


私にとって歌舞伎町は、社会人になって東京に住むようになってから初めて足を踏み入れた場所で、なんだかきらびやかで猥雑な場所、という割と薄い印象しかない。しかしそのうっすらとしたイメージの中でも、イメクラの火事の事件や、青竜刀を振り回した襲撃事件、新大久保までの街路に立つ外国人女性の群れ、石原都知事による「浄化」作戦、中国人観光客の席捲……と、ここ10年ばかりの間にも常に姿を変え続けているように感じている。
先日久し振りに歌舞伎町で飲んだとき、某居酒屋チェーンの前でたむろしていたのは中国人観光客の団体だった。会計を済ませて店から出てきたガイドさんが、「これからドンキホーテに移動します」と言っていた。