『深読みシェイクスピア』

深読みシェイクスピア (新潮選書)
ひょんなことから著者の松岡和子さんのことを知ったので、早速著書を図書館で借りてきて読んでみた。
松岡さんは英文学者でシェイクスピア戯曲の翻訳をライフワークにしている。蜷川幸雄演出のシェイクスピア劇シリーズの脚本はまさに松岡さんの手によるもので、もともと松岡さん自身も演劇畑出身の方ということもあり、実際に稽古にも立ち会って役者の意見も取り入れつつ生きた脚本にしていくそうだ。この本は、そうした翻訳の苦労や舞台の現場で役者によって気付かされたことなどが綴られたエッセイ集。
読み始めてから、そういえばこれまでシェイクスピアなんて読んだことも観劇したこともないことに気がついた。せいぜい液が「恋に落ちたシェイクスピア」を、グウィネス・パルトロウ目当てに見たくらい。が、そんな私でも、翻訳にまつわるさまざまな発見の話には引き込まれた。


英語から日本語へ、字面だけ移すだけでも難しいけれど、それが戯曲であればなおさら困難が伴うのは想像に難くない。一つの台詞でも、いわゆるト書きがない場面では、それがどんな感情で発せられているのかによって、語尾や一人称など全てが変ってくるから日本語は厄介だ。

近代以降の劇作家はト書きをきっちり書きますけど、それに比べれば非常に少ないですね。おそらくシェイクスピア自身が演出していただろうと言われていますから、そのせいもあるかもしれない。ですから、この箇所に関する私の反省点をまとめると(笑)、近代以前の戯曲を訳すときは、ふだんより空間にたいする想像力を働かせなければならない。誰がどこに立っていて、どの方向にむいてしゃべっているのか、そうした「場」を内蔵した訳語を考えなければいけない。

たとえば「あなた」という台詞が誰を指しているのかも、字面からでは決して分からない。蒼井優が「オセロー」のデズデモーナ役を演じた際、「三幕四場の『あなた』は全部同じ相手を指しているのか?」という疑問を投げかけてきたそうで、そこで長年シェイクスピアに携わってきた松岡さんもハッと気付かされることがあったらしい。
また、「ハムレット」でオフィーリアを演じた松たか子には、筆者がずっと原文で「ここの言い回しはオフィーリアらしくない」と思っていた台詞について、「それはきっと父親ポローニアスに言わされているんだと思う」と指摘され驚いたというエピソード。
あるいは「ロミオとジュリエット」でジュリエット役を演じた佐藤藍子の立ち姿を見て、「結婚を考えてくださるなら」としていた脚本を「結婚を考えているなら」に台詞変更したという例も。実はジュリエットは、原文を読み込めば深窓の令嬢というよりは意外とおてんばな娘というイメージらしく、それを改めて佐藤藍子に気付かされたという。

戯曲の翻訳というのは書斎での作業だけでは絶対に決定稿は出来ない。稽古場に日参して、演出家や役者に接して、彼らとのやりとりのなかで決定稿が出来上がっていくという側面が必ずある。

こうした役者とのやり取りの中での発見、という話が非常に興味深かった。


演劇の現場で脚本がどんどん練りこまれていくという話を読んでいて、「This is it」で舞台の上で自らのスタンダードをいまだにあれこれ演出していたマイケルを連想した。もうすぐ命日ですが。


【追記】
シェイクスピア劇の中で、息とリズムを合わせ丁々発止でやりあう男女の掛け合いを「ウィットコンバット(wit combat)」と呼ぶそうだが、こういう掛け合いを経た男女は必ず最後は結ばれるというパターンがあるらしい。