『今朝子の晩ごはん 忙中馬あり篇』

今朝子の晩ごはん―忙中馬あり篇 (ポプラ文庫)
直木賞作家、松井今朝子さんのエッセイ集。ブログをまとめたものなのだが、文字通りその日の晩ごはん(よくその日のキューピー3分間クッキングを参考にしている)を軸に時事ネタあれこれやかつて脚本も書かれていた歌舞伎の話、趣味の乗馬の仲間から仕入れた話などがつづられている。
このエッセイが書かれた当時を反映して、船場吉兆の料理使いまわし事件を嘆いたりしているのが懐かしく感じた。ちなみに筆者のご実家も祇園で料亭を営まれているそうだ。

これからはどの職業にしろ、何をするにしろ、旧来型の仕事に就く者は、没落に向かう日本という国の中で、かつての同業者のようなわけには決していかないことを心すべきだろう。出版しかり、劇場しかり、それでもやってること自体が面白くて好きだという原点に立ち返った上で、見返りなど期待せずに、とにかくみんなタイタニックの乗組員同士なんだから、せめて楽しくお互い仲良くやっていきましょう!というような心意気で乗り切りたいものです。

そもそもが情緒的な民族だけに、なるべくその情緒性を抑えて、科学的になることを国を挙げて奨励したのが近代の日本だった。しだいに科学性を喪失し、情緒的に事を構えて太平洋戦争に突入したなかで、まともな教育も受けられず、李年余利もまず目先の食べ物ばかりを気にして大きくなった連中が現在国の指導者としてのさばっているからこそ日本の劣化が甚だしいのだという事実に目をふさいではなるまい。

…ときおりこういう冷徹な視線が入っているのが面白かった。

今日のお稽古では「千家十職」のひとり金物師の中川浄益師がこの正月に亡くなられて、跡継ぎがなく、これで指物師の駒澤利斎と併せて二家が断絶してしまったという話になって「家元も困ってはんのやわあ。今朝子ちゃん、どないしたらええと思う?」といきなり訊かれてしまった。「千家十職」というのは、お茶の諸道具を製作する十人の職人さんたちがこれも代々世襲で家元の取り巻きに鳴っているシステムだから、「これまでなんとか続いてきたほうがふしぎなくらいですよねえ」と私が正直に感想を述べると「ほんまに、そう言われたら、そやなあ」と素直にうなずかれる先生なのであった。「歌舞伎役者でも今や国立の研修生が三分の一以上になっているんですから、今後のこともあるし、そういう職人さんたちもいっそオープンに養成するシステムとか考えはったほうがええのんとちがいますか。芸大の学生さんとかでも、今やったらそういう日本の古いことをやりたいいう人が前より増えてる思いますし、優秀な人が集まるんちがいますか」と適当にお答えしたら、「確かにそろそろそういうことも考え名あかんわなあ。永楽(善五郎、十職のひとりで焼物師)さんに今度その話するわあ」とマジに言われてちょっと冷や汗もんでした。


出版社の人が「最近の若手は『洛陽の紙価を高める』を『落葉の鹿』と書いたりする」と嘆く話があったが、教養として身についているかどうかはともかく、原典だってどうせ史書あたりの受売りなんだし、むしろ誤記の方が見た目が情緒的で日本らしくはあると思う。
ただそれが誤記であると分かる教養は、読む側には必要だけれど。