『台所のおと』

台所のおと (講談社文庫)
幸田露伴の娘、文(あや)さんの短篇集。
幸田文は著作の多くを生前に出版しなかったらしく、この短篇集も没後にまとめられたもののひとつ。家父長制が残っていた頃の東京の家庭を舞台にした作品がいくつか並んでいて、興味深く読んだ。妾はいらないけど、使用人はいたら助かるな。書生も住まわせたい。


いまはすっかり耳にしなくなってしまった日本語が次々と出てきて目新しい。それがまた高尚な単語というわけではなくて、「生活」に根ざした言葉なのだ。

  • 佐吉は寝勝手をかえて、…(「台所のおと」)
  • 六年前に夫を見送ったあと、息子娘が心配するのを、手に和裁という職があるから、自分の身じんまくは自分でする、といってその言葉通り一人住みなのである。(「濃紺」)
  • 他愛ない雑談とは思うものの、爪ぎしのささくれみたいに、触れられればびくっとする痛みがあったし、…(「祝辞」)

これらを聞かなくなったということはつまり、我々の生活様式が変わってしまったということか。


金策のあてもないのに見栄を張りたがる没落した商家の息子(「食欲」)、人生のごたごたを乗り越えてきた夫婦が呼ばれた結婚式で見せる人生のお手本(「祝辞」)、脳内出血のあと視力を失う青年(「呼ばれる」)、などなど、それぞれのエピソードの登場人物は、みな不自由のなかでも幸せを必死に探していて、奇妙なリアリティを持っている。
とくに「祝辞」は、ぜひつれあいにも読んでもらいたいと思った(のでこれから薦めてみる)。