有朋自遠方来

小学校以来の旧友から、昼前に突然「いま赤坂にいるんだけど…」というメールが。金沢から所用で上京していたのが、予想外に用事が早く終わったらしい。
急遽拙宅まで来てもらい、つれあいや子供たち同伴で近所の蕎麦屋で昼食をともにし、そのまた近くにある神社を詣でたりして(旧友は金沢の古いお寺さんの跡取り息子なのだが神社詣では別に問題はないらしい)、日曜の昼下がりをまったりと過ごす。


蕎麦を手繰りながら、何故か小学校のときの国語の教科書に載っていた「桃花片」という物語の話になった。

老いた老陶工の父親と、何かと衝突する若き陶工。彼は父親が質素な実用品ばかりを作るのが気に入らず、美麗な芸術作品を作り続ける。
やがて父は亡くなり、いつしか名人と呼ばれるようになった息子だが、ふと振り返ると、父が作っていたような素朴な作品はいまだに作っていないような気になる。そんなとき、息子はすばらしい「桃花片」(模様)の水差しに出会う。裏面を見ると、そこには何と父の名が刻まれていた。

この話って、いまになって振り返ると、柳宗悦の言う「用の美」の視点とか、ほかの中国故事にもよくある達人論みたいなところもあって、小学生が単純に理解できるレベルの話ではないと思う。
昔の国語や道徳の教科書に出てきた話とか、普通の単元のなかでちゃっちゃと説明しきれるものではないと思う。
まあ、30年後に昼下がりに蕎麦屋で酒を飲みながら話すには、おあつらえ向きかもしれない。


全然関係ないけど、パーマン4号a.k.a.パーやんは、大阪の金福寺というお寺の跡継ぎ息子で、法善(ほうぜん)というのが本名らしい。