『お言葉ですが…(8)同期の桜』

お言葉ですが…〈8〉同期の桜 (文春文庫)
例によって気になった部分の紹介を。


「京大」はいまでこそ「きょうだい」と読むのが普通だが、昭和の初め頃までは「けいだい」と読む層もいた…という話、「大学の略称むかしと今」。確かに「京浜」「京阪奈」「京滋バイパス」というときの「京」は「けい」と読む。
で、そこから話は敷衍して、戦後にできた大学の略称は「訓読み+大」のパターンが多いとして、たとえば戦前創立の「早大」を「わだい」などとは誰も呼ばないのに対し、「鹿大(しかだい=鹿児島大学)」、「茨大(いばだい=茨城大学)」、「鳥大(とりだい=鳥取大学)」などを「訓読み+だい」の例として挙げている。たしかにこれらを「ろくだい」「しだい」「ちょうだい」などと呼んだりはしない。
音読みグループにもこれはこれで弊害(?)があって、わが故郷の金沢大学は地元では「金大」と略して「きんだい」と読むが、世の中の大部分の人にとって「きんだい」とは「近畿大学」の略称だろう。


正露丸式」という一篇では、「ラッパのマークの正露丸」のネーミングと商標の発祥について書かれていた。正露丸はもともと「征露丸」と書かれた薬で、その名のとおり日露戦争で悪い水を飲んで腹を下す兵士のために作られたものらしく、私は恥ずかしながらその事実を初めて知った(あとでつれあいに聞いたら知っていたが、これって常識の範囲なのだろうか?)


碁打ちの間で勝負の合間につぶやかれた定型句について書かれた「ははァの三年忌」も面白かった。

 たとえば、相手が打った石を見て「ははァ」と言う。最も単純な「つぶやきことば」である。自然に出る声であるから、言った当人はほとんど無意識である。
 そうすると相手が「ははァの三年忌」とつぶやく。一種のまぜっかえしであるが、正面から顔を見て言うのではない。これも盤上を見ながらボソッとつぶやくのである。無論「母の三年忌」のもじりで、相手が「ははァ」と言うとこちらはそう言うという、型ができているのである。

このたぐいのほかの言葉として、「そうか」というつぶやきには「草加越ヶ谷千住の先」、「来たか」というと「来たか長さん待ってたホイ」、「さあこれで勝った」とくると「カッタカッタと下駄の音」…という問答形式のものから、「また負けの綱か…」(渡辺綱のもじり)や「おなげのかばやき」(お投げ=投了とうなぎのもじり)といった独り言パターンまで、さまざまな定型句があったそうだ。


本巻でもっとも蒙を啓かれた思いがしたのが、日本語歌詞における鼻濁音の問題を取り上げた「春のうららの隅田川」
文中の濁音は鼻濁音にしたほうがきれいに聞こえる…なんて、これまで考えたこともなかった。もともと鼻濁音は東日本、とりわけ東京に特徴的な発音らしく、それがそのまま標準語の発音に持ち込まれたようだが、そんな歌い方をしている歌手なんて、ほとんど絶滅しているのではないだろうか?
(…と思っていたのだが、若い歌手のなかにも鼻濁音がきれいに使いこなせる人は、いるにはいるのである。一番最近出会ったそういう鼻濁音の使い手は、「海賊戦隊ゴーカイジャー」の主題歌を歌っている男の人。この人は語頭と語中の濁音をきれいに使い分けている。)