『近代能楽集』

近代能楽集 (新潮文庫)
今日11月25日は三島由紀夫の命日であり、それとは関係なく愛息2の誕生日でもある。せっかくの1歳の誕生日なのに、いま仕事の忙しさがピークで何も祝ってあげられなかった。今度改めて。
せめて三島の本でも読んでやろうと(?)、適当にこの本を手に取ったのだが、これが思わぬ面白さだった。
能楽の作品を三島が生きていた時代を舞台にした一幕ものの戯曲に翻案。これがただ単に人物や設定を現代に置き換えただけでなく、物語そのものもかなりアレンジしているところが妙。元の能楽曲を知っていればいるほど、良い意味での「裏切り」を味わうことができる。


邯鄲
ご存知「邯鄲の夢」に案を採った曲。
冒頭主人公がバスの中で眠りこけた…という描写があったので、そこで見た夢というオチかと思ったがさすがにそんなことは無かった。バスの場面を出せないという、一幕ものの舞台上の制約もあったのだろうが、これも元が能楽と考えると同じ制約の範囲内でいろいろと実験していたのが分かる。
本書に収められている「近代能楽」では地唄はほとんど出てこないのだが、この作品にだけは「枕にとがはあらじ、枕するひとにとがあり」という印象的な謡が出てくる。不気味なミスマッチ。
「枕の精」と思しき女性の台詞。

「理屈を云うとき、あなたの目はずいぶんかわいいわ。自分の理屈に自分で酔ってる目ね。」
「あたくし、黙って、一本の百合の花みたいに、じっとあなたのほうを見ているわ。」

一炊の夢から覚めて、身の丈に合った生活をしようと書生が変心した「邯鄲」に対し、本作では主人公は最初から最後まで絶望の中にあり、背景だけが希望を帯びる。これは「邯鄲」の陰画のようであって、実際には「人生を生きない」と決めた裏返しの絶望なのか?


綾の鼓
元は御簾の内に垣間見た姫君に恋をしてしまった老庭番の、身分違い&年の差ありすぎ片思いの悲喜劇。
この作品に限らず、三島由紀夫という人は登場人物の「台詞」を描き分けるのが上手い人だと思う。とくに山の手言葉に本領があるのだが、ここでは女中・加代子の“はすっぱ”な言葉遣いが見所。実にさりげなく世代や育ちの違いを説明している。
舞台は道路を挟んだ二つの部屋だけなのだが、昼と夜の対比、前半一言もしゃべらない「奥様=姫君」などの対比が効いている。

「恋というのはそういうもんじゃない。おのれの醜さの鏡で相手を照らすもんだ」
「舌には本家という奴はない。舌が頼っているのは、われわれの普遍的な味覚だけなんです。」

…それにしても舞設定台を現代に移し変えたのに、「鼓」という小道具はなぜ翻案しなかったのか?

「あたくしにもきこえたのに、あと一つ打ちさえすれば。」


卒塔婆小町
旅の僧が卒塔婆に座っている老婆を見咎め説教するが、逆に老婆にやりこめられてしまう。聞くとその老婆は、あの絶世の美女として知られた小野小町の成れの果てだった…という原作。どんなに栄耀を誇るものでもいずれは衰え打ち捨てられるというはかなさが主題。
最後に全てが突き放されるような結末、生まれ変わりなど、約10年後に書き出される『豊穣の海』のモチーフがここに垣間見られるように感じた。


葵の上
これは先日能そのものを見てきたところだけに、いろいろと比較ができて面白かった。
最大の違いは、葵上に憑りついた六条御息所の生霊が調伏されて終わる原作に対し、本作では調伏されないまま、いやむしろ源氏が六条御息所への恋心を再燃させたかのような終わり方になっているところ。それも、ちょっとしたホラー映画のエンディングのような、ぞっとする幕引きなのだ。

「女が女王様に憧れるのは、失くすことのできる誇りを、女王様はいちばん沢山持っているからだわ。」

六条御息所の生霊を「リビドォの亡霊」「性的抑圧」などと描いているところは、20世紀の文学らしい。


班女
都の青年貴族に捨てられた(と思った)田舎の遊女が、都に上り糺の森で半狂乱になって踊っているところへくだんの貴族が通りかかり、自分が与えた扇を持っているのに気付いて再会を果たす…という原作。
「秋の扇」は暑さが過ぎて用無しになることから古来「捨てられた女」の象徴として使われるが、先述の「綾の鼓」と同じく、舞台は糺の森から井の頭線の某駅へ移されても、扇という小道具は翻案されずそのまま出てくる。いや、そのまま出てくるどころか、いきなり「班女の扇」という固有名詞さえ出てくる。メタ演出。

「あなたは待たないからだわ。決して待たない人だからだわ。待たない人は逃げるんだわ。」

「まだ正気が残っているんだ」
「さあそれが狂気のしるしなんです」

扇がもし現代の道具に変わっていたとしたら、果たして何になぞらえていたのだろうか?


道成寺
娘からの激しい求愛を斥けた僧侶が、怒りのため蛇になった娘によって襲われる原作。僧侶が逃げ込んだ梵鐘に蛇が巻きつく場面が有名。
本作ではその鐘が「巨大な箪笥」という現実離れしたモチーフにすりかえられており、どうしてそんなことになったのかを考えると興味深い。

「でもあの人だけは私の若さと、私の美しい顔から逃げ出したんです。たった二つの私の宝を、あの人は足蹴にかけたんです。」