『大槻教授の最終抗議』

大槻教授の最終抗議 (集英社新書 467B)
ここ数日、ネット上では一躍時の人となっている大槻義彦氏。詳細は「大槻教授 アグネス」といったキーワードで検索していただくとして、夏前から何冊かの著書を読んできたにわか大槻ウォッチャーの私としても黙ってはいられない。
あとで読む」くらいの意識でアマゾンのカートに入れておいたら、つれあいが誤って「購入」をクリックしてしまったという、いわくつき(?)の本書を引っ張り出して読んでみた。
新書なのでさらりと読み流せてしまうのだが、本書の素晴らしい点は、大槻教授が何故火の玉研究を志すようになったのか、自身の生い立ちから説き起こしているところ。要約すると「小学生の頃に実際に火の玉を目撃し、それが一体何だったのか解明したかった」ということなのだが、それをきっかけに大学に入学してもほうぼうの科学者に当たってみたり、当時のソ連に火の玉研究者がいると聞くと入手困難なビザを取得する算段をつけて単身モスクワ大学に駆け込んだり、助教授になってからは那須の山中の土地(後に火の玉の撮影に成功し、プラズマによる火の玉発生実験を行った場所)を購入して、毎週末そこにこもってひたすら火の玉を待ち構えたり、とにかく行動力が尋常ではない。
研究者・学究の徒というのは、ここまで打ち込まないとひとかどの人物にはなれない、ということだろうか…。


この本の出版は2008年だが、オウム真理教の一連の事件などを反省した上で、インチキ霊能やエセ科学については次のように厳しい態度を宣言している。

…身近な者に起きた不幸をなかなか忘れられずに苦しんでいる人につけ込み、「霊能力」や「占い」と称して金儲けを企むオカルト者を、絶対に私は許さない。

 近年のオカルトブームを見ていると、単に反科学的、非科学的というだけでなく、一種の知的退廃を感じる。知識や教養そのものを全否定する空気が漂っているようだ。八〇年代のブーム時は、子供も大人も一緒になって宜保愛子の番組などに興じていたものだが、今は主に若い年代層がオカルトブームを支え、守り立てていることにも懸念を感じる。完全に教育が失敗しているとしか考えられない。

 前に述べたように、これまで私は自分の火の玉研究を進めるためにオカルトを徹底批判してきたが、これからは一科学者としてオカルト的なものを糾弾していきたい。ここ二、三年、オカルトブームにまた拍車がかかっているように見えるからだ。かつてのユリ・ゲラー宜保愛子を凌ぐオカルトスターも生まれている。スピリチュアルブームであり、六星占術細木数子である。

この流れの上での今回の大槻教授のブログでの発言なので、私にとっては今般の「大槻vsアグネス」騒動は、外野が騒ぎ過ぎというか喜び過ぎ…という印象なのである。