『いい日、旅打ち。 公営ギャンブル行脚の文化史』

いい日、旅打ち。 - 公営ギャンブル行脚の文化史 (中公新書ラクレ)
旅打ち」というのは、主に公営4種競技(競馬、競輪、競艇オートレース)をやる人たち独特の表現で、レースが行われる競技場を転々と旅行して回ること、あるいは旅行した先で競技場に行くことを言う。両者は似ているようで全く違うもので、前者のほうが「ずーっと追いかけて回っている=ギャンブルで生計を立てている」というニュアンスが含まれる分、より玄人としてのギャンブラーの行動を指すような感じ。後者は、旅行に絡めてこれまで行ったことのない競技場を見て来よう…といったライトな感じの意味合いになる。
筆者が掘り起こした資料によれば、戦前から「競馬観戦ツアー」的な催しは盛んだったそうだ。当時は場外発売所や電話投票がなかったので実際に現地に行かないと馬券が買えなかった。そうすると、馬券好きのファンは次の開催競馬場を追いかけないといけなかったのだ。
こうした旅打ちの成り立ちや変遷を整理していくところは、理論派でならす(?)筆者ならではの文章で、非常に興味深かった。


さて、そうした前段部分はとても面白く読んだのだが、いざ旅打ちの実践を解く段になると、少し中途半端に感じた。
つまり、「ギャンブルに詳しくない人にも分かりやすく、なおかつ詳しい人にも旅打ちという文化の啓蒙を」目指して書かれているようで、どっちつかずに感じたのだ。そもそもマニアックな「旅打ち」についての本であるということ自体、こうしたジレンマを内包せざるを得ないのは分かるのだが…。
閲覧性の工夫として、もっと具体的に競技場ごとに簡単な特徴やアクセス方法、アクセスの難易度等を羅列する形式でもよかったと思うし、どのページにどの競技場のことが書かれているかの索引は欲しかった。


この本は、公営ギャンブルをすでに好きな人には旅打ちの動機づけを与えるかもしれないが(私も遠くの競技場に行きたくなった)、そうではない旅好きに公営競技場まで足を運ばせる動機づけにはならないだろう。それこそが、今の公営競技場、なかんずく「昭和レトロなテイストを残した」競技場を救うために必要なことなのだと思うのだが…。