『ベル・ジャー』

ベル・ジャー (Modern&Classic)
何がきっかけで購入したのか思い出せないが、多分どこかの書評で「少女版『キャッチャー・イン・ザ・ライ』」という惹句を読んでワンクリック購入したのだと思う。若くして文学の才能を開花させながら自殺未遂をし、精神病院に入院させられた経験のあるアメリカの詩人シルヴィア・プラスの自伝的小説。プラスは後にイギリスに渡り桂冠詩人と結婚。しかし30歳でこの作品を出版した直後に、幼い子供を残してオーブンに頭を入れて自殺している。


物語の主人公の少女、エスターも、現実のプラスがそうだったように在学中に文学の賞を受け、ご褒美としてニューヨークの雑誌社でインターンをする。ところがその生活の中で、無限に思えた自分の将来が、とてもちっぽけなものにしかならないのではないかという、(社会に出る前の若者にありがちではあるが本人にはとても切実な)不安を感じるようになる。

 あまりの静けさに悲しくなってきた。それはありきたりの静寂や沈黙ではなくて、私の心の中だけの沈黙。
 目の前を走る車はノイズを発し、中に乗っている人たちが喋っている。灯りのついた建物の窓の中にも音が溢れているし、川だって音を立てて流れているはずなのに、私には何も聞こえない。ニューヨークは窓の外でポスターみたいにただぶらさがっているだけ。街の魅惑的な光が点滅しているけれど、そこには何も実際には存在していないみたいに見えた。それならそれで、いっそ消えてくれればいいのに。

物語の中盤でエスターは睡眠薬自殺を図り、一命を取りとめるのだが、精神病院に入ることになる。50年代初頭のアメリカでは、まだまだ鬱病は一般的には隠すべき病であり、電極を額に押し当てるショック療法やロボトミー手術が先端の医療として行われていた。
この辺の、精神を病んでからのくだりは、淡々とした表現で語られるだけに痛々しくて仕方なかった。本の前半はニューヨークでの華やかな暮らしが描かれているので、拘束されて治療を受け続ける変化に乏しい病院の日々が、くっきりと対照的に迫ってくる。

 きっといつか、「忘れる」ということが、やさしい雪みたいに、すべてを覆って麻痺させてしまうだそう。
 でも、あの痛みは全部、私の一部。あれは私の懐かしい心の風景。

精神病院の退院テストを受けるべく、エスターが医者たちの待つ面接部屋へのドアを開け一歩を踏み出すところで、物語は幕を引く。