『男子の茶の湯ことはじめ サラリーマンが茶人になりました』

男子の茶の湯ことはじめ―サラリーマンが茶人になりました
先週図書館に行ったときに、すかさず茶道関連図書のコーナーをチェックしたのだが、タイトルの「サラリーマン」云々が目に留まって手にした本。
パラパラめくってみると、筆者は脱サラして遠州流家元の秘書となり、やがて弟子を取って「男だけの茶道教室」を開いたり、ニフティサーブ華やかなりし頃茶の湯のフォーラムを主宰したりしていた人らしい。面白く思って借りて帰った。


筆者の堀内議司男さん(茶名は壷中庵宗長)は、郷里の愛媛でサラリーマンをしていたとき、歴史好きが高じて余暇に遠州流のお茶を習い始めた。サラリーマン生活の先行きに疑問を抱えていたある日、先生から「家元が秘書を探している」という話を聞き、先代の家元小堀宗慶宗匠(現宗家)のもとで秘書を務めながら茶道の修業を重ね、のち独立したということだ。

「君ならでたれに伝えしこの道を すきをも茶をも知る人ぞしる」

茶の湯の極意について、利休はこんな風に言ったと伝えられている。つまり、数寄についても茶についてもわきまえた人にだけこの道=極意を伝えよう、というわけだ。利休らしい厳しさが感じられる。
それに対し遠州流の祖である小堀遠州には、こんな言葉が伝えられている。

「侘びすきは 身をうき草の根を絶えて さそふ人あらば いはんとぞ思う

…つまり、欲する人であれば誰にでも教えて差し上げましょう、というわけ。
その心を伝える遠州流の家元の道場では、初心者も免許を持つ者も、一緒になってお稽古をつけてもらっているらしい。すごいな。


また家元の家では、毎朝関係者が茶の間に集まって朝の一服を飲むというのが習慣だったそうだ。

 家元での一日も朝の一服から始まります。全員が揃うと茶の間に集まり、朝のティータイムとなります。その日の仕事の打ち合わせを兼ねながら、お茶をいただくのです。茶道の家元のところですから、お茶は当然抹茶です。
 抹茶と聞くと、茶室の中でお湯が沸く松風の音を聞きながら、というイメージなのではないかと思いますが、茶の間での抹茶はもっと気軽です。袱紗さばきもなく、お点前というほど仰々しいものはありません。茶櫃から茶碗や茶筅、茶器を取り出し、ポットからお湯を注ぎ、茶碗をあたため、お茶を入れ、点てる、ごくシンプルな形です。

この「茶の間の抹茶」、なかなかいい光景だと思った。簡略化されているとはいえ、抹茶である以上一碗ずつ茶の量やお湯の量が変わるわけで、言ってみればオーダーメイドのお茶が点てられるのだ。それを飲む人は、急須やティーポットで入れられた茶ではない、自分のために量を調節されたお茶を喫するということで、ちょっと特別なものをいただく気持ちになれる。
私もわりと普段から、それこそポットから茶碗にお湯を注ぐ「茶の間の抹茶」をやっているのだが、量をオーダーメイドするところに意識がいっていなかった。今度つれあいの体調や気分を推し量って茶を点ててみよう。


あと今度会社に茶碗と茶筅茶杓、抹茶を持っていこうと思った。仕事の合間にインスタント感覚でささっと茶を点ててズズッと飲むなんて、なかなか数寄ではないか。