『Deep Love 第一部アユの物語』

Deep Love―アユの物語 完全版
読んだ。これは薄っぺらかったな〜。遅読の私が一瞬で読みきった。そもそもがダイジェスト版みたいな文章な上に、とっかかりというか立ち止まって考えさせられるような部分が一つもないもんだから、スキップする感じでスラスラと読めた*1
最初のうちは「アユって全然風呂に入ってなさそうだけど、汚くね?」とか「家出して長いようだけど、どこに着替えが置いてあるんだろう?」とか気になってしょうがなかったのだけれど、それは既存の文学にどっぷり漬かった私の、余計な詮索だと途中で気付いた。そういうあらすじに関係無いディテールは、この作品ではハナからバッサバッサ切り捨てられているのだから。
目に優しいこの文章、携帯の画面で読むにはすごく向いてるんだろうなあ。でも、わざわざ活字にして出版しなくてもいいのに。


勘違いしてたけど、これって純愛小説じゃなくって、エロ小説だったのか。冒頭からしてこんな感じ。

 あっ……もう1時間は舐め続けている。
 ハゲあがった頭を小刻みに揺らして、クチュクチュ音を立てながら、オヤジがうれしそうに言った。
「オイしいね、アユちゃんのは」

なんだコレ。でもまあ携帯で見るときには、最初の1画面目で「えっ何?」って思わせなきゃいけないから、これくらいの書き出しは順当なのだろう。


はてなでの感想を読んでいて面白いと思ったのがchikiさんのエントリ「『ディープラブ』流行についてマジメに分析してみる。」
何故このケータイ小説が支持されたのかを考察した4番目で、携帯というメディアの特性に触れていた。

ケータイ小説の文体が、やたら「解説」じみた文章が多かったり台詞の羅列が続いたりと「すっかすか」なのも、ケータイというメディアと関わりがあると思われます。Yoshiさんの文章も台詞と解説(○○は振り向いた。そこには△がいた。○○は驚いた…)ばかりですが(何かの脚本を読んでいるみたいです)、そのことで読書を「タルイ」と感じてしまう人でも大したストレスを感じさせないですむのでしょう。ちなみに、文体が「すっかすか」だと、中身も「すっかすか」になってしまうことは言うまでもありません。

さらに、内容があまりにスカスカなので、その分勝手に物語世界に自分を代入しやすいのでは…という指摘も、なるほどな〜と思った。


私が思うに「ケータイ小説を読む」という行為は、もはやこれまでの「本を読む」という行為とは別の、新しい体験なのではないだろうか。テレビゲームに感情移入して徹夜でプレイしたりそれこそエンディングで涙を流したりするのと同じく、ケータイというメディアを介して軽いタッチの文章に勝手に感情移入をしてのめり込むという、新しい体験なのだと。もしかしたら軽いロールプレイの要素も入っているのかもしれない。
だから、既存の小説と比較して「読む価値がない」とか「もっと深くて感動できる小説がいくらもある」とかアレコレ言うのは、実は無意味なのではないか、と思う。


…でもまあ私は、一生のうちの同じ時間を消費するのなら、これからは既存の小説を読んでいけばそれでいいと思った。こんなんだったらケータイ小説はもういいや。

*1:唯一違和感があったのが、時折挿入される作者の声?的な謎のメッセージ。地の文や会話の中で語られないことを、すべて語りきってしまう「ヘルプ」的な文章。「このとき主人公は何を考えていたのか20字以内で答えなさい」といった国語の問題が苦手な読者でも、その答えを最初から教えてくれるような親切さ。これは新しい文章作法だな〜。