常に前へ進む男

NHK知るを楽しむ 私のこだわり人物伝」、菊地成孔によるマイルス・デイビス評伝の第4回(最終回)を見た。
生のマイルスを知る2人の日本人、ピアニストのケイ赤城氏とファッションデザイナーの佐藤孝信氏のインタビューを軸に、「マイルスとは何だったのか?」を探っていた。


佐藤氏は「音楽のことはわからないけど、マイルスは常に新しいことに関心を示し、しかも非常に吸収の早い人」、そして「何でもトライする人だった。絶対立ち止まらなかった」と振り返った。


日本人で唯一マイルスのバンドに参加したことがあるケイ赤城氏は、「マイルスは父親だった」と結んだ。

「マイルスが世の中にいてくれているということで、すごく安心感を感じてたんですね、僕自身が。マイルスがいる以上は、音楽、そして自分自身のすごくパーソナルな部分というか、僕のやっている音楽も、どこか位置付くだろうと。やっぱりマイルスが音楽のレファレンスだった。あくまでもすべてマイルスが基準になって場所が決まる。…マイルスが亡くなって、結局もう音楽がそれぞれバラバラに個別的に育っていくしかないんだな、とすごく寂しくなりました。」
「僕たちの世代のミュージシャンにとってマイルスは父親なんです。だから、父親に対して反抗することも、同じことをするにしても、結局父親の存在があるからできるという…。」


ただ単にやみくもに前進を続けるのではなく、いま振り返ってみるとそれが全て音楽界に革新をもたらしていたことに気付く。

斬新なハーモニーのクールジャズ、切ないバラードで牽引したハードバップ民族音楽にヒントを得たモードジャズ、電子楽器を導入したフュージョン、リズムの革新はクラブミュージックを先駆けた。
マイルスの歩みは、音楽の歴史を常にリードしてきた。


番組のしめくくりで朗読された、晩年のマイルス・デイビスの言葉。

オレは、古いジャズが聴きたいやつには、「レコードを聞いてくれ」と答える。創造しつづけようと思う人間には、変化しかありえない。
人生は変化であり、挑戦だ。