『丹波哲郎の死者の書』
- 作者: 丹波哲郎
- 出版社/メーカー: 中央アート社
- 発売日: 1980/09
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もちろん映画「大霊界」以前の発表だが、すでに本作の中で「霊界の様子を映画にして世に知らしめるのが私の使命」と言い切り、ようやく準備に入ることができたと報告している。
ツッコミどころ満載…かと思えば、意外と淡々と冷静に書いている(それがまたおかしいのだが)。その中身をちょっとだけ紹介してみよう。
- 第一章 私はなぜ、死後の世界を信じるのか
そうそう、まずはそこを聞きたいわけです。
『人間革命』という映画に主演、創価学会の二代目会長・戸田城聖の役を演じたこともあるという丹波氏ですが、若い頃は霊界はおろか宗教にも精神世界にも縁がなかったらしく、学会の偉い方の前で行われたロケで、「南無阿弥陀仏!」と念仏を唱えるアドリブをやって周りのスタッフが青くなったというエピソードも*1
そんな丹波氏が死後の世界に関心を持つようになったのは、ある友人の死がきっかけだったとか。その方は癌に冒されて苦しみ抜いて亡くなったそうですが、
…死に様の、余りのみじめさに心をふさがれるような思いをした。傷ましくて傷ましくて目をふさぎたくなるような思いに何度となくとらえられた。
そのときに、つくづくと考えたのである。
死というのは、誰にでも必ず一度は訪れるのだから、もっと安楽に、もっと“カッコよく”死ねないものだろうか。まして、自分は、いわば常に“カッコよさ”を売り物にする俳優である。あんなふうに、みじめに騒いで死ぬのは厭である。だいいち、みっともない。とにかく、もっと気持ちよく、“カッコよく”死ぬ方法はないだろうか……。
…ということで、死について、死後の世界について、独自の研究を始めたそうです。
しかしどれだけ苦しんだか知りませんが、「みっともない」とまで言われたら、その友人も浮かばれませんね…。
- 第二章 死後の世界を見てきた人たち
丹波氏が始めた「研究」というのは、具体的に言うと「死後の世界を見てきた」と言われる古今東西の霊能者たちの著書を、片っ端から読んでみることだったそうです。先回りすると丹波氏の提唱する「大霊界」の死生観というのは、こうした古今の先人たちの言っていることの共通部分、最大公約数(いいとこ取り?)であると、ご自身で言っておられます。
紹介されている書物と先達は、以下のとおり。
- 御船千鶴子 (『リング』の貞子の母親のモデルになった明治の女性)
- 長尾郁子 (同じく明治時代に「念写」を最初に行った女性)
- 三田光一 (大正から昭和にかけて活躍し、月の裏側を念写した霊能者)
- 出口王仁三郎 出口王仁三郎 - Wikipedia
- エドガー・ケイシー エドガー・ケイシー - Wikipedia
- エマニュエル・スウェーデンボルグ エマヌエル・スヴェーデンボリ - Wikipedia
- ノストラダムス
- 鶴田さん (鎌倉在住の、丹波氏の知り合い)
- 三鈴栄子 (丹波氏の友人の女優)
…ごった煮という感じもしますが、何にせよ丹波氏はいろいろと本を読んで研究しているのは間違いないらしく、とりわけスウェーデンボルグに傾倒、全十数巻に及ぶ大著『霊界著述』も全て読んだとか。
丹波氏の死後の世界観の多くは、この『霊界著述』に依拠しているとのことです。
- 第三章 死後の世界はこうなっている
ということで、長年の研究成果として編み出された、丹波氏独自の「あの世」観。
簡単に言うと、人が死んだらこんなふうになるそうです。
- 第一段階・死の瞬間
長い暗いトンネルのような所を急上昇するような感覚に襲われ、ふと気がつくと部屋の2,3メートルほどの高さの天井の辺りに、死んだ自分の体を見下ろして浮いているのに気がつく。死体の周りの家族やお医者さんたちが何を言っているのかまで聞える。
やがてあの世から「お迎え」が来て、言葉の無いディスカッションを行った後、目のくらむような光に包まれて自分の生涯の出来事を見る。
- 第二段階・中間状態
「大きなとてつもなく大きな盆地」に到着。そこは人間界と何ら変わらない自然の風景で、「精霊界」と呼ばれる霊界への入り口にあたる。ここで人間界のさまざまなアクを抜き、素の状態に戻る。
- 第三段階・霊界への出発
肉眼ではとても向こう岸の見えないような、大きな河を渡る。対岸はいよいよ霊界である。
- 第四段階・霊界への到達
霊界に到着。空も地面も真っ赤に染まった赤土の荒涼とした場所らしい。「お迎え」が何人となく現れ、正しい自分の相手であることが確認されると、「村」に連れて行ってくれる。
- 第五段階・旅の終わり
また人間界と変わらないような光景が広がる。そこには山と海に囲まれて何億という「村」が点在している。「村」には同じ考え方、性格、好みの魂たちが集まって住んでおり、他の村には決して入れない。
この「村」こそ、人間が死ぬと、永い永いそれこそ世に言う“十万億土”、仏教の『阿弥陀経』にある“西方十万億の仏土”を旅して帰り着く、あなたの永遠に住む「村」なのである。
あと霊界は次の7層にわかれているのだとか。
- 一階層 地獄界。
- 二階層 地獄界。
- 三階層 ごく一般の人が行くところ。500人前後で村を形成。
- 四階層 5,000人〜5万人前後で村を形成。
- 五階層 さらに村の人口が増える。
- 六階層 さらに村の人口が増える。
- 七階層 さらに村の人口が増える。
上の階層に行けば行くほど大勢の同じ嗜好の人たちと一緒に暮らすことができるそうです。それが良いことなのか悪いことなのか、いまいちよくわからないのですが、きっと良いことなのでしょう。
- 第四章 あなたの死後はこうなる
こうした「大霊界」の姿を広めることで丹波氏が願っているのは、「人の魂は無限に続いていくものだから、今生を“旅の恥はかき捨て”的に生きるのはやめよう」ということ。
つまり死んでからが問題なのではなく、「いかに良く生きるか」が丹波氏の言いたいことなのです。
丹波哲学ならぬ哲郎学は、「死んだらどうなる」が主眼ではなく、「どう生きる」がテーマだったのでした。
- 終章 IF LIFE IS FOREVER(「もしも…」からの出発、そして“永遠の生”)