美しい国

小泉内閣メールマガジンが終了したと思ってそのままにしていたら、今朝「安倍内閣メールマガジン(創刊準備号)」なるメールが送られてきました*1


ABEさんについては、何を言いたいのかよくわからない人…という印象を持っています。「美しい国」というキャッチコピーをしきりと連呼しておられるようですが、それが何を意味しているのかわかりません。

 私は、毎日額に汗して働き、家族を愛し、未来を信じ、地域をよくしたいと願っているすべての国民のための政治をしっかりと行っていきたい。そのために「美しい国創り内閣」を組織いたしました。

 かつて、日本を訪れたアインシュタインは、「日本人が本来もっていた、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらのすべてを純粋に保って、忘れずにいてほしい」という言葉を残しました。

 日本は、世界に誇りうる美しい自然に恵まれた長い歴史、文化、伝統を持つ国です。アインシュタインが賞賛した日本人の美徳を保ちながら魅力あふれる活力に満ちた国にすることは十分可能です。日本人にはその力がある、私はそう信じています。

 今日よりも明日がよくなる、豊かになっていく、そういう国を目指していきたい。世界の国々から信頼され、そして尊敬され、みんなが日本に生まれたことを誇りに思える「美しい国、日本」をつくっていきたいと思います。
(「安倍内閣メールマガジン(創刊準備号)」より)

先日つれあいとも話していたのですが、「美しい」という価値判断には、「誰から見て美しいのか」という主観の問題が必ず関わってきます。人それぞれ、何をもって「美しい」と感じるかは、バラバラなのです。
私自身も「日本の自然・四季は美しいなあ」と思いますが、それはABEさんが「美しい」と思うポイントとは、ずれているかもしれません。また、ここでABE氏はアインシュタインの言葉を引用していますが、これとて見る人によっては「日本人の引っ込み思案でケチで狭量な心」と読み替えられるかもしれません。そうした人の価値判断は、ないがしろにされてしまうのでしょうか?

 メルマガ編集長をはなれてからも、私は、いろいろな人と話をする機会を大切にしてきました。

 いろいろな仕事を経験されて農業に再チャレンジした人。定年した後伝統文化の世界で活躍している人。非行少年の就職を支援している人。ホームレスから立ち直った人。起業を目指すフリーター。障害者が安心して外出できるようなまちづくりを訴える車椅子利用者。高齢者の雇用に取り組んでいる企業などなど。

 日本全国北から南まで、大勢の方々と話し合ってきました。何かに挑戦しようとしている人たちのご意見は大変参考になります。

 机上の議論だけでなく、実際にどういうことが必要なのか、何にみんなが困っているのか、苦しんでいるのか、壁は何なのか、いろいろな人の話を聞いていくことが、本当に求められている施策につながっていくものだと思います。
(「安倍内閣メールマガジン(創刊準備号)」より)

随分偏った方面の人たちばかりを挙げて「いろいろな人の話を聞いていくこと」が大事だと述べられていますが、そんなことよりも先に、リーダーたるABE氏自身の「美しさ」の判断基準をつまびらかにすることが、求められているのではないでしょうか?


「美しい」という言葉が人によってどれだけ違った意味で使われ、どれだけ他者を斥ける力を持っているか。「日本古来の美徳」への伝統回帰を叫んだ三島由紀夫は、この問題を小説『美しい星』で皮肉(自嘲?)を交えて描いています。
美しい星 (新潮文庫)

*1:即座に解除しておきました