『永すぎた春』

永すぎた春 (新潮文庫)
三島漬け第11弾。もうそろそろいいかな、とも思えてきた。あと数冊読んだらやめにしようか。


東大法学部に通ういいとこのお坊ちゃんの郁雄が、大学の近所にある古本屋の娘・百子と恋に落ち、なかば身分違いのこの縁談を双方の親に認めさせ、無事に婚約を果たす。「結婚は卒業後」という約束のもと、2人は婚約した1月から翌年の3月まで、清い関係を保ち続けることを誓うのだが、さまざまな誘惑や誤解がこの若いカップルに襲い掛かる…という話。
2人が婚約した「January」の章から始まり、紆余曲折の末「December」の章で終わる。すっと読める力の抜けた連載小説。文章の途中でいきなり「作者」が顔を出したり、物語が3分の1ほども過ぎてから突然百子に兄がいたことになったり、ご都合主義もここまであっけらかんとしていれば、むしろ清々しい。


はてな」でこの小説について感想を書いている人をざっと見たところ、ほとんどの人がこの物語をハッピーエンドだと捉えているようだが、それは疑問だと私は思う。
この小説は、世間知らずでウブだった郁雄と百子が、徐々にスレていく、嫌な大人になっていく話なのではないだろうか?
物語の後半で降りかかるすったもんだのトラブルを乗り越えた2人は、表面上は(文章上は)えもいわれぬ幸福感に包まれているようだが、これは額面どおり受け取るべきではなく、作者の諧謔なのではないだろうか? つまり2人は盲目的に自分達だけの(利己的な)幸福に浸っているのではないか?
そんな幸福に、明るい未来があるとは私は思えない。


青春は時に人を利己的にする。それはそれで一瞬であれば美しいかもしれないが、それに馴れてしまった人間は醜いだけだ。だからこそこのタイトルが、『永い春』ではなく『永すぎた春』なのだと思う。