『複雑な彼』

複雑な彼 (集英社文庫)
三島ヅケ第5弾。
この作品は、三島由紀夫安部譲二氏の半生を描いたもの。


安部譲二氏については、先日橋本龍太郎・元総理が亡くなられたときに「名門麻布中学時代の同級生」として紹介されていてビックリしたものだった。
安部氏はその麻布中学時代に傷害事件を起こし、あわや少年院入りとなるところを、父親(銀行マンだとか)の尽力でそれだけは逃れ単身渡英、ロンドンの高校に入学。しかしそこでも問題を起こして中退。
その後ヨーロッパを放浪し、見習い船員として貨物船に乗って日本に戻り、井戸掘りをやったりプロボクサーになったり、果ては競艇選手、ホテルのボーイ、競馬のノミ屋、沖仲士…とさまざまな職業を遍歴したのち、渋谷の安藤組に所属しながら(つまり現役のやくざの身で)なんと日航JAL)のスチュワードを務めていたこともあるのだとか。
この作品は、こうした安部譲二氏の遍歴をもとに、フィクションを交えつつ肩の力を抜いて書かれた娯楽作。


書かれた経緯については、巻末についていた安部譲二自身による「解説」に詳しい。

 正しく私は、この三島由紀夫先生の「複雑な彼」のモデルでした。
 それが証拠に、この小説は「女性セブン」に連載されたものですが、終ると同時にまだ三十歳になったばかりの私を「この男がモデルだった」と、女性セブンはグラビアにしたのです。
 先日八幡山大宅文庫に行って、懐かしいのでコピーしていただいたのですが、それは若い自分を見て溜息が出ました。
 この「複雑な彼」は、私の二十七歳までの半生記で、背中に彫物が……等の細部を除けば、なんとも私が生きて来た事実そのままです。
(中略)
 とにかく私は、夜学の高等学校を他の同年輩の者が大学を出る年に、どうにか卒業して、その次の年には二十三歳の最年少で、日本航空のスチュワードにまんまとなってしまいました。
 渋谷警察署では、日本航空の制服に身を固めた私を見て、随分首を捻ったようです。

また、安部譲二氏と三島由紀夫との出会いについては、こんなスレスレのことをサラリと書いている。

 思えば、三島由紀夫先生と私は永い御縁でした。
 あれは昭和二十八年頃のこと、私が初めて用心棒を組から命じられたゲイバーで、私は先生とお近づきになったのです。
(中略)
 ゲイボーイの色香と気違い水に狂った外国人を、まだ若かった私がとり鎮めるのを御覧になって、先生はボクシングに興味を持たれ、私の紹介で稽古に励まれたりもなさったのです。

さらにはこんな奇妙な作品が書かれた背景についても、触れられていた。

 後で聴いた話では、三島由紀夫先生の私兵の「楯の会」を創る費用を捻出されるために、この「複雑な彼」は書かれたということです。

…つまり完全な売文だったということだろうか。


三島由紀夫の作品には(他の作家もそうかもしれないが)、明らかに手を抜いて書かれた作品群がある。
真剣に書かれた作品(たとえば『仮面の告白』『金閣寺』『禁色』など)があまりに濃密な流麗な日本語で書かれているのに比べ、手抜き(という言い方が悪ければリラックスした)作品群(たとえば『永すぎた春』『夏子の冒険』など)はかなり改行の多い砕けた日本語で他愛のない話を書いている。
この『複雑な彼』という小説は、まさにリラックス側の作品の代表と言えるだろう。
ただし、「リラックスして書かれている=駄作」というわけではもちろんないのだが、本作について言えば完全に等級が落ちる。主人公の半生も、実在のモデルがいるからこそアレだが、登場人物からは小説そのものの魅力は全く醸し出されていない。