『ゲイ短編小説集』

ゲイ短編小説集 (平凡社ライブラリー)
三島由紀夫を読み込む前の準備本、その2。「三島と似たタイプの作家」…などとは簡単には括れないのだが、欧米の同系作品(ゲイの作家によるもの)の例をチラッと読んでおきたくて。


編者の大橋洋一氏による解説が、大変参考になった。このような短編集を編む意義から説き起こし、組み入れた作品や作者について、ゲイとの関連をわかりやすくかいつまんで紹介している。


趣旨とは関係無いが、私が好きなイギリスの短編小説家サキがゲイ小説家であると紹介されていて、驚いた。「サキ」というペンネームは、古代ペルシャの詩人オマル・ハイヤームの『ルバイヤート』に出てくる「杯を運ぶ者」という意味の言葉に由来するというが、これはギリシャ神話でゼウスによって天上界に拉致され愛人にされた美少年ガニュメデスを意味しているのだという。ガニュメデスはこの挿話により、ルネッサンス期以降、同性愛の暗示とみなされているそうだ。

 となるとわたしたちは驚きまたあきれるほかはない。驚くべきは、マンロー(注・サキの本名)がこの時代に「サキ」ペンネームによって、みずから同性愛者として「カミング・アウト」していたことだ。グレアム・グリーンが「無意味なマスク」だといっているのは、ゲイ・アイデンティティを隠すはずのペンネームが、逆に作家のゲイ・アイデンティティを堂々と明かしているからであろう。わたしたちがあきれるのは、にもかかわらず、サキが同性愛者であることを、解説の類ではいっさいふれようとしないことである……。サキという、一言ふれずにはいられない不思議なペンネームの存在にもかかわらず。あるいは三島由紀夫の『仮面の告白』が、同性愛者であることをカミング・アウトする私小説にもかかわらず、同性愛者の仮面をつけたフィクションとして読まれ、また作者もそう主張していたのと同じように、サキという「仮面」もフィクションもしくは作者の韜晦癖として受け流されたのだろうか。

サキの短編は、一風変わった皮肉に満ちていて(それこそが私が彼の小説を好きな理由でもある)、言われてみればそうした斜に構えた社会の見方に、ゲイらしさを見出せなくもないかもしれない。
そういえば橋本治が『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』の中で、「自分は三島由紀夫の作品を特段好きではなかったが、作中に満ち溢れている辛辣な皮肉は、随分参考にさせてもらった」というようなことを書いていたのを思い出した。


大橋氏の解説で蒙を啓かれた思いをしたのが、「西洋(英国)文明社会では、オリエンタリズムと同性愛が強固に結びついて考えられていた」という論。

 異文化交流が同性愛と結びつくのは大英帝国の植民地状況特有のものだったかもしれない。他国の植民地政策とは異なり、異民族との結婚による民族の混淆をかたく拒む<清浄運動>を展開していたイギリスは、非西洋地域における性習慣(一夫多妻制など)を嫌悪感をもってながめていたため、異民族との深い交流は、性的タブーに近い性格を帯び、異性愛というよりも同性愛として表象されたとみることができる。

この引用部分だけではわかりにくいのだが、こうした論(東洋=性風俗の乱れ)は、サイードの『オリエンタリズム』あたりにも言及されているそうだ。

…私(注・大橋氏)はかつてリチャード・バートン版の『千夜一夜物語』を翻訳で読んだ際、バートンが名高い「巻末論文(ターミナル・エッセイ)」のなかで「変態地帯」(同性愛地帯と同義)を地中海地域から朝鮮半島を経て日本にまで設定しているのをみて驚きあきれたが、西洋からみて非西洋が同性愛地帯として恐怖と魅惑の場所になることを、私にはじめて指摘してくれたのはエドワード・サイードの『オリエンタリズム』であった。


オリエンタリズムと同様に重要なポイントとなるのが、「キリスト教」のようだ。キリスト教の人類愛・博愛主義を、同性愛の隠れ蓑に用いたり、あるいはそこから誤解が生じたり。
この短編集でも、オスカー・ワイルドの「幸福な王子(The Happy Prince)」やシャーウッド・アンダーソンの「手(Hands)」、E.M.フォースターの「永遠の生命(The Life to Come)」*1などキリスト教の影が色濃い作品が収められている。


オリエンタリズムキリスト教は、そもそも無関係ではない。世界宗教として果ての無い布教活動を続けるべく宿命づけられているキリスト教は、つねに「周辺地域」に切り込もうとしている。その周辺としてのアジアに与えられた偏見が、サイードの言うオリエンタリズムなのだろう。
ゲイを周辺地域に追いやろうとする意識の表れなのだろうか?


ということで西洋文学史上の「同性愛文学」は、それこそシェイクスピアの時代から連綿と続いているわけだが、ここで念頭に置かれる「同性愛(ゲイ)」という概念は、西洋近代文明以降の考え方だと強く感じた。近代以前の西洋社会や、非西洋社会でいう「同性愛」とは、見かけは同じでも根本の思想が違う。

*1:この小説、映画『ブロークバック・マウンテン』をほうふつとさせる内容。熱望する側と、拒否する側。映画に比べて、こちらはかなりバッドエンディングでしたけど。