『キャンティ物語』

キャンティ物語 (幻冬舎文庫)
昨夜、鳥取から羽田へ帰る飛行機内で読了。


1960年飯倉にオープンしたイタリアン・レストラン「キャンティ」。それはレストランというよりは、オーナーの川添浩史・梶子夫妻のひらくサロンのような場所だったとか。
そこに集まった著名人の名前が、本書の各所に挙げられているが、本当にきらびやかなリスト。いわく、三島由紀夫安部公房黒澤明岡本太郎加賀まりこかまやつひろしミッキー・カーチス…。


オーナーの川添浩史氏は明治の元勲・後藤象二郎の孫にあたり、ジャン・コクトーロバート・キャパらと親交を結んだパリ留学の経験をいかして(というか他に仕事がなくて)、のちに高松宮の「国際関係特別秘書官」となり、旧宮邸をゲストハウスに転用した「光輪閣」の支配人に就く。
生来の性格でもあり、パリ・モンマルトルで磨きをかけた社交性が、ここで花開いたようだ。


「日本の文化を正当な形で海外に紹介したい」というのが宿願だった川添氏は、日本舞踊の欧米ツアーをプロデュースしたり、邦画をヨーロッパの映画祭にプロモートしたり、私財を投げ打って文化交流に力を注いだ。
そのいっぽうで、「光輪閣」よりはプライベートな場でゲストをもてなすために、飯倉に「キャンティ」を開いた。


キャンティは、イタリア料理というとスパゲティ・ミートソースくらいしか知られていなかった当時に、本格的な料理やワインを供する店としても名を馳せたが、なんといっても夜な夜なここに集まった人々の多士済々ぶりや、ここで生まれたさまざまな出会いによって知られている。
当時の雰囲気を回顧した、ミッキー・カーチスの弁を借用しよう。

 偉い人も来る店だけど、一番楽しんでるのは俺達みたいなはみ出し者なんだ。俺とか、ムッシュ*1とか幸雄*2とか、行くところがなくて、世の中にあてはまらない連中が偶然に集まったのがここなんだ。
 …(略)…皇族も作家も、不良もおかまも一緒にメシ食うんだからさ。話は全然かみ合わない。けれど一緒にいて、一応、相手の言い分は聞いている。自由ってのは、そんな立場の違うものが一緒にいられるってことなんじゃないのか


キャンティができた頃の六本木界隈は、まだ地下鉄が通っておらず、車が無ければ来られない場所だった。それでいて、銀座のように「大人の町」という敷居の高さが無く、「通」の若者が集まる場所だったそうだ。
ちなみにアマンドができたのもこの頃だとか(1963年)。


キャンティは現在も飯倉の本店をはじめ、西麻布店、自由が丘店が営業をしているが、当時のようなサロン的な雰囲気は途絶えてしまったようだ。
とはいえ、まだ当時の面影を知るスタッフが働いているうちに、ぜひ一度訪れてみたいと思う。

キャンティ オフィシャルサイト
http://www.chianti-1960.com/

*1:かまやつひろし

*2:夭折のレーサー福澤幸雄氏