『だめだこりゃ』

だめだこりゃ (新潮文庫)
ブクオフ100円。いかりや長介氏が、生い立ちからドリフターズ結成以前・以後、ザ・ビートルズ武道館講演の前座をつとめた話、「8時だョ!全員集合」が終わったあとの俳優としての四苦八苦などについて語った自伝。
死の1年前に書いた「文庫版あとがき」が悲しい一冊です。


戦中、東京から静岡に疎開してそのまま居ついていた氏は、「女にモテたい」という一心で当時流行していたハワイアンのバンドを結成。当初はスチールギター担当だったのが、「長身のギタリストがボーっと突っ立っていると客の目障りだ」という理由で、比較的目立たないベース(ウッドベース)に転向。
その後プロのミュージシャンを目指し上京、ハワイアンから一転してロカビリーのバンドに入り、そのバンドがポシャるとミッキー・カーチスが抜けたばかりの「クレージー・ウエスト」に加入。さらにカントリー・ウエスタンをやる「ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ」へ参加し、このころ「ネタで笑いの取れるバンド」という構想を得たそうです。
その後、すでにあった「ザ・ドリフターズ」というバンドに加入。氏の加入当時は、小野ヤスシや加藤英文(のちの加藤茶)らがいたのですが、後にコミカル路線を志向する長介氏との意見の相違から、加藤氏以外のメンバーが全員脱退(「ドンキー・カルテット」を結成)。
たった2人で取り残されたいかりや長介さんと加藤茶さんが、次の営業までのたった15日間でかき集めたメンバーが、高木ブー*1荒井注*2仲本工事*3の、いわゆる「ドリフ」のメンバーだったそうな*4


いかりや長介さんが「日本で最初にチョッパーベースを弾いた男」であるという伝説について、以下のようにコメントしていました。

 …一般にベース奏者(ひき)はギターでいうピックアップの部分の上部に親指を固定して、人差し指と中指で弦を弾く。しかし、私はギター奏者(ひき)のように、ウッドベースにもかかわらず親指を多用し弦を叩いたりして弾いていた。ギターを独学ではじめたときからの癖だ。それに、てのひらでのカットを入れたりすると、遠目にはチョッパー弾きのように見えたのだろう。今ではその親指奏法を指して「いかりや弾き」とか「長介弾き」と若い人がいっているようだ。


1969年10月からスタートした「8時だョ!全員集合」をやっていた当時については、毎週毎週ネタを考えるのが大変だったと述懐しておられます。
飛ぶ鳥を落とす勢いだった「8時だョ!」も、1981年に始まった裏番組「オレたちひょうきん族」に次第に人気を奪われ、1985年9月28日、803回目の放送で最終回となりました。
ちょうど「ひょうきん族」に視聴率が抜かれた始めた1984年のエピソード。

 その頃のこと、フジテレビの廊下でタケチャンマンの格好をしたたけしと出会ったことがある。
 彼は照れ臭そうにうつむきかげんのまま、早口で、
「手ェ抜いて適当にやってますから」
 と言った。私に気をつかっての言葉だったのかどうか、私が返事をする前に、彼の姿は消えていた。タケちゃんらしいナイーブな挨拶の仕方だ。

*1:「ポップコーン」というバンドでギターを弾いていた

*2:「顔が面白いピアニストがいる」という噂だけで引き抜きを決めた(実はピアノがまったく弾けなかった)

*3:高木ブーの推薦で声をかけられた

*4:ちなみに彼らの芸名を付けたのは、先輩クレイジー・キャッツハナ肇さんだそうです