『音楽力が高まる17の「なに?」』

音楽力が高まる17の「なに?」
音楽はいまや日常生活にあふれていて、ついつい身近にあるのが普通に思えるのだけれど、冷静に考えるとそうなったのは人類の歴史上ごくごく最近のこと。
たとえば西洋近代音楽の7音階にしても、統一基準の標準ピッチは1939年の国際標準音会議において決定されたもので、それまではパリ、ウィーン、ハンブルク…街ごとに微妙にピッチが異なっていて都市ごとの特色になっていたらしい。
そもそも西洋音楽にしてからが、もともとはローカルの音楽だったわけで、「馬のしっぽで羊の腸をこする」「見えない相手と通信するため木の洞に獣の皮を張って叩く、獣の角を吹いて遠くにまで合図の音を送る」…團伊玖磨氏が弦楽器や打楽器、管楽器のことをこんなふうに表現していたそうで、まさにそれは「狩猟民族ならでは」ということだが、身も蓋もないのだけれどそれも事実。

アラブの音楽家にとっては、それがどんなに複雑な音程やリズムであっても、五線上に音符として表すことができるという時点で、雑駁な音楽と聴こえるのではなかろうか。もちろん半音を半分に割った4分の1音があるから優れた音楽であるというわけではない。ただ、そうした精緻な音程を普通に聴き(弾き)分ける鋭敏な耳をもつ彼らが、ヨーロッパの音楽を、ことさらに優れた音楽と感じていないであろうことも容易に想像はできる。


本来ローカル音楽だった西洋近代音楽だが、他の全ての「近代文明」の広まりとセットで世界各地へ広まっていく。現在でもあちこちの都市にオーケストラが編成されているのは、この影響だと筆者は述べる。

ヨーロッパに始まる近代合理主義は、音楽にまで説明と能率を求めはじめた。近代社会を受け入れたひとびとにとって、オーケストラは合理的に営まれる社会の模範となるものだった。これこそオーケストラが世界に広まった秘密だ。


もっとも、近代以前のヨーロッパにおいても、音楽はもっと雑多なものだった。

街がちがい、場所がちがい、人がちがえばピッチがちがう、音律がちがう、リズム感がちがう、音色感がちがう。本来はヨーロッパ音楽にも、こうした不合理さや説明のし難さはあった。

会場ではおしゃべりなどは当たり前、トランプに興じたりアイスを食べたり、なかには犬を連れてきたり、編み物をしたり、楽章間で拍手したり…何でもありだったかつてのコンサート。それが変容したのは、疎外し合う他者たちが都市において享受するものとして、近代音楽が形成されていくとともに、芸術として音楽をコンサートを聴くことが強いられるようになっていったという。

私たちは時代とともに変化する音楽を聴いている、と思い込んでいる。事実はちがう。変化するのは音楽ではなく「聴き方」なのだ。時代の「聴き方」が新たな音楽を生み出す。もし「音楽を音楽としてのみ聴く」という集中的な聴取態度が19世紀以降のひとびとに根づかなかったなら、忘れ去られたバッハやモーツァルトの音楽が返り咲くことはなかっただろう。この新しい聴き方こそが敗者の音楽を復活させた。
その意味で彼らは音楽を聴き取るという現代の「聴き方」が育んだ現代の音楽家なのだ。