『ピーコ伝』

ピーコ伝 (文春文庫PLUS)
糸井重里によるピーコのインタビュー。生い立ちから芸能界に入るまで、その後の活躍、そして病で失ったもの・得たものなどなど。


高校を卒業し、トヨタ自動車に入社(!)。しかしやはり自動車の仕事は合わず、サンヨーレインコートに転職。ハンサム揃いの営業マンたちに囲まれ、憧れの男性に気に入られたくて野球部のマネージャーになってスコアブックのつけ方を覚えたり…その時その時に好きになる男性がいて、その「愛」に生かされてきたという、自称「愛の吸血鬼」ピーコ氏。

ゲイにはおバカな子も多いからね。
わたしと違うって思われるゲイの子たちは、もしかしたらゲイというものを「嗜好」だと思っているかもしれない。
わたしのは違うの。わたしの場合、ゲイであることは「嗜好」じゃなくて「生活」だから。「おすぎとピーコ」としてずっとやってきたことも、ゲイとしての生活の確立だったのかもしれないわね。
ほら、カミングアウトしてムーブメントをつくってるゲイのひとたちがいるでしょ。
あのひとたちは、自分たちの存在を社会に認めさせたい、と思っているわけでしょう?
でもわたしは、自分を認めてもらえなくてもぜんぜんかまわない。
わたしとおすぎは、ただゲイとしてゲイの生活をしているだけなの。
たくさんの人にたくさん見られているゲイの生活。で、この双子のゲイの生活をちょこちょこ垣間見てるうちに、″わかる″ひとも出てくる。――朝から晩まで男とふとんに入っているゲイばかりじゃないんだ、って。それがわたしであり、おすぎ。

性生活の話まで、割と赤裸々に語っているのが印象的だった。

早い話が、好きなひととそんな状況になったとして、でもそのひとから「何だ、ヘタじゃないか」「歳取ってるし、太ってるじゃないか」とか思われているかもしれない―って想像するだけで、もう萎えちゃう。
だから、セックスはしなくていい。せいぜいキスでいいの。

このあたり、男の趣味も含めて双子のおすぎ氏とは正反対らしい。おすぎ氏は男性のことを「一本、二本」と数えているとか…。


その後サンヨーレインコートをやめ、文化服装学院に通い服飾のイロハを身につけたピーコ氏は、当時いろいろあって歌舞伎座に出入りするようになっていたおすぎ氏のつてで、女優のスタイリストをやることになっていく。一方のおすぎ氏は映画の試写会に出入りしはじめ、「いつもいる面白い子」として映画業界で有名になる。そしてラジオ番組のゲストとして呼ばれたのだが、「一人じゃイヤ」ということでピーコ氏と一緒に出演したのが、「おすぎとピーコ」のデビューだった。
ちなみに「ピーコ」という芸名は、サンヨー時代に「ピーピーうるさい」ところから同僚につけられたあだ名なのだとか…。


1989年に左目に腫瘍が発見される。全ての仕事を断り、入院、摘出手術を受ける。抗がん剤の副作用で髪が抜け落ち、最悪の気分になっていた中、やはり生きがいを与えてくれたのは、男性医師への恋心だったそうだ。

今でも思い出せるんですが、手術で目を取ることが決まったとき、はじめて周りのいろんなものが本当の意味でいとおしくなった。
夏の青い空ってこんなにきれいなんだ。
東京の風にもにおいがあるんだ。
表参道の根津美術館の石垣の脇の小さな雑草の花も、よく見るときれいなんだ。
今まで身のまわりにあったもののほんとうのよさ、ほんとうの価値を、死ぬかもしれないと思ったときに、はじめて気がついたのね。
なんでいままで目に入らなかったのかしら。
目がついてるのに、見てなかったのね。
それが、目を失うってわかったとたん、見えてきたんだから。
そう思うとすごく、くやしかった。

わたしは、男でもなければ、女でもないの。ただ、わ、た、し、なのね。
後から自分で考えてゲイになったわけじゃない。いわば自然にゲイになった。だから、ゲイであるからここまでしなきゃ、とも思わない。
そうすると、女の気持ちになって話すこともできるし、男の立場から女の子の恋愛相談を聞いてあげることだってできるの。
宝塚を観てるときなんかは、もう自分が男か女なのかなんてまったく関係ないの。ただ、ハーってため息がでちゃうの。前のほうにみんなで陣取って、乗り出して「愛♪」だなんて、日ずさんで身を乗り出してるんだから。