『私が愛した東京電力 福島第一原発の保守管理者として』

私が愛した東京電力―福島第一原発の保守管理者として
拉致被害者の会の事務局をやっておられた蓮池透氏による、氏の勤務先だった東京電力の回顧、原発事故の解説、今後の進むべき道の提言などをまとめた本。

これまでずっと原発は安全だと言い続けてきた自分がそこにいたわけで、自分も推進してきたのだから加害者ではないのか、そういう良心の呵責があります。私はこれまで原子力は危険だと言ったことはないし、大丈夫ですと言いながら、原発周辺の地域のコミュニティにも参加したりしてきたことからすると、被災者のみなさんには、東電OBの一人としてこんな事故が起きて本当に申し訳ないことをしたと思っています。何とか早くご自分の住んでいた家に帰ってもらいたいという気持ちです。

東電人生三二年間を踏まえ、福島第一原発事故とは何だったのか、今後の東電はどうあるべきか、さらに今後の原発・エネルギー政策をどうするのかについて、自分なりの考え方をのべていきたいと思います。


新潟県柏崎市で生まれ育った筆者が高校生の頃に、刈羽原発が着工となり、その後東京での大学生活を経て東京電力に就職したものの、とくに地元に戻りたいという気持はなかったそうだ。そして実際、柏崎刈羽原発での勤務は一度も無かったのだが、新人研修が終わってすぐに赴任したのが、福島第一原発だった。
その頃の実際の作業風景を描いた部分は、さすがにリアル。

 点検作業は下請け会社の人がするのですが、東電としては点検作業がきちんと行われているかどうかを確認しなければいけません。東電社員が最初に線量の高いところに入ってしまって線量オーバーしたら、あとで確認に行けなくなるので、全部の点検作業が終わってから入ります。全部点検してオーケーを出すころには、もうアラームがビーッと鳴るのです。当時はレムという単位でしたが、私は五年半の福島第一原発勤務で合計して約一〇〇ミリシーベルト被爆しました。東電社員のなかでも多い方でした。

こんな記述もあった。

発電しない原発は“金食い虫”ですから、稼働率を上げろというのが至上命令です。稼動していれば一日に何千億円か何百億円かを生み出すはずが、稼動しなければマイナスです。


もともと原子力専門ではなかった筆者だったが、原発やその研究部署を歴任することになる。その過程で、当初は夢の発電という期待を抱いていた原子力発電に、筆者は疑念を感じるようになっていった。

…そこで私は、高速増殖炉プルサーマルの研究に携わることになりますが、ここで得た知見が、のちに「原発は自滅する。フェイドアウトするしかない」と私に確信させるベースになりました。

 私は「このままいけば原発は自滅するな」と在職中から思っていました。最終処分場をつくって初めて軽水炉核燃料サイクルは完結するわけですが、「サイクルができていないなかで原発を精力的につくってよいのか」という疑問は、核燃料サイクルの仕事に携わって、現実がわかってきて初めて感じるようになりました。原発をどんどんつくるよりは、まず核燃料サイクルをきちんと完結させることが大切だろうと思ったのです。

 だから私は退職後に原発反対派の人と話す機会があったときに、「そう反対、反対と言わなくても、いずれ原発は核のゴミ問題で行き詰りますから」と言ったこともあります。原発は自滅の道をたどらざるを得ないでしょう。なぜならばゴミを捨てるところがないのですから。これまで原発や処分場の誘致というのは、結局お金で済ませてきたのです。福島第一原発の事故で、そういうことにたいする警鐘が鳴ったのではないかと思います。


また、周知のように蓮池氏は東電の仕事をきちんとこなす傍らで、「拉致被害者の会」の事務局の仕事にも携わっていた(これについては東電内部でもいろいろな見方があったような話も書いてあった)。そうした経験ならではの、今回の原発事故やその反響に対する批判もあった。

 少し前までは、「東電の隠蔽体質」「東電けしからん」と、東電を叩けばそれで溜飲が下がるという雰囲気がありました。どうも、拉致問題があきらかになった当時の北朝鮮バッシングと似ているなという気がしました。ただ、違うのは、拉致問題では北朝鮮のみをバッシングしていたのですが、今回は東電をバッシングすると同時に、政府もバッシングしていることです。では、なぜ北朝鮮拉致問題のときに政府バッシングをしなかったのかという疑問があります。「福島の事故は国内で起きた問題だから、東電も悪いし政府も悪い」と考えて、「拉致問題は相手が北朝鮮だから、日本政府をバッシングしたらまずい」と考えるという、何かの動機づけがあったのではないかと思います。私は、政府の無策ぶりという意味では、両者は同じだと思うのです。

 ところが、拉致問題はもう一〇年目に入ります。ですから、「政府は何をやっているのだ」という気持ちがどんどん先にきてしまって、自分たちは被害者で弱者なのだということをどこかで忘れてしまうようなところがあるのです。はっきり言うと「俺たちは被害者だ」と胸を張ってしまうようなところがあって、私が見る限り、「助けられて当然だ」というか、「俺たちが言うことに文句があるやつは出て来い」というような感じにまでなっています。それではダメで、「何とか助けてください。お願いします」と国に頼むような謙虚さが必要だと思っているのですが、一〇年も経って、それがそうではなくなっているのです。

また、以下のような発想は、氏ならではだと思った。

 この問題で言いたいことがあります。 日本は、東日本大震災に際して、北朝鮮政府から八〇〇万円の義捐金をもらったのですが、それにたいする政府の態度がおかしい。
 北朝鮮の八〇〇万円といったら、貨幣価値としたら日本の一〇〇倍くらいあると思うのです。ですから、八〇〇万円もらったときに、「ありがとうございます」とお礼を言って、拉致問題についても対話の糸口を見出すような態度を、なぜ日本政府はとれなかったのか。


昨年起きた原発問題について、日本に住む者は、今後とても長い時間をかけて解決方法を模索していくことになるのだが、同じように気が遠くなるような長い時間暗中模索を続けきた拉致被害者の会の活動は、われわれに多くの示唆を与えてくれるのではないか。