『銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎』

銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎
上巻に続き、下巻を読んだのだが、こちらはあまりエキサイティングには思えなかった。上巻でドラマチックに再現された「西洋文明」による「新世界」の征服が、銃・病原菌・鉄などを直接の要因と捉えていたのに対し、下巻ではそれら「西洋文明」が他地域より一歩先んじた理由をコツコツと探っている。
筆者の論を(うろ覚えながら)まとめると、定住生活を始めた人々が、農業や野生動物の家畜化の技術を発達させ、食料生産の効率が上がり、文字を使って技術の伝承を行い、人口増加(都市化)が進んでいった結果、さらなるイノベーションが生まれ、新種の病原菌も共生するようになった…という感じだろうか。
当初は宗教的な目的で神官たちが独占していた「文字」が、庶民によって広く使われるようになったように、「発明」は当初の目的とは違った形で活用されることもある…という記述が興味深かった。

 …ところが実際の発明の多くは、人間の好奇心の産物であって、何か特定のものを作りだそうとして生みだされたわけではない。発明をどのように応用するかは、発明がなされたあとに考えだされている。また、一般大衆が発明の必要性を実感できるのは、それがかなり長いあいだ使い込まれてからのことである。しかも、数ある発明のなかには、当初の目的とはまったく別の用途で使用されるようになったものもある。…(中略)つまり、多くの場合、「必要は発明の母」ではなく、「発明は必要の母」なのである。

一方でこんな記述もあったが…これははたしてそうだろうか?

日本人が、効率のよいアルファベットやカナ文字でなく、書くのがたいへんな感じを優先して使うのも、漢字の社会的ステータスが高いからである。


上巻で劇的に描かれていた、ピサロによるインカ帝国の征服。西洋文明が何故そこまで南北アメリカ原住民に対して優位に立てたのかについては、このようにまとめている。

南北アメリカ大陸にやってきたヨーロッパ人が、当時のアメリカ先住民に対して有利な立場にたてたのは、彼らがつぎの三点において恵まれていたからである──ユーラシア大陸では南北アメリカ大陸にくらべて、定住生活がずっと早くからはじまっていた。家畜化や栽培化可能な野生動植物がずっと多様で、食料生産をより効果的におこなうことができた。地理的障壁や生態的障害が少なく、発明や技術がさまざまな地域に伝播しやすかった。そして、南北アメリカ大陸では、不思議なことにある種の発明や技術が不在であった。これもまた、ヨーロッパ人がアメリカ先住民に対して有利な立場にたてた究極の要因の一つである──南アメリカ大陸のアンデス社会は、車輪や文字を発明した中央アメリカの社会と同じくらい長い歴史を有するにもかかわらず、車輪や文字を発明していない。中央アメリカで発明された車輪は、中国でのように猫車として使われることもなく、おもちゃとして使われただけで姿を消してしまった。こうしたことは、タスマニア島や、オーストラリア大陸アボリジニの暮らしていた地域や、日本や、ポリネシア諸島や、北アメリカ大陸の北極圏などに存在していた、比較的規模が小さく孤立した社会で、ある種の技術が不在であったり、既存の技術が後退してしまった事実を思いださせる。


結論として筆者は、西洋文明とそれ以外の地域とで決定的な差が出た要因を、次の4点に絞っている。

  1. 栽培化や家畜化の候補となりうる動植物の分布状況が大陸によって異なっていた点
  2. 伝播や拡散の速度を大陸ごとに大きく異ならしめた地理的要因
  3. 異なる大陸間での伝播に影響を与えた地理的要因
  4. それぞれの大陸の大きさや総人口のちがい


高度な文明を発達させながら「西洋になれなかった」中国については、官僚機構が発達しすぎたために、さまざまなイノベーションや「大航海時代」の到来を妨げてしまった…と、一応考察している。ただこのあたりの論理は、他の部分が環境差異を分析していたのに対してちょっと説得力が弱いようにも感じる。
さらに言えば、上下巻を通してインドについてほとんど触れられていなかったのも、説明不足に思った。