『俳句的生活』

俳句的生活 (中公新書)
“俳句界の貴公子”こと長谷川櫂氏による俳句エッセイ集。
私が熱心に「NHK俳句」を見ていた頃、当時の講師陣の一人として氏を初めて知ったのだが、その後「俳句における“切れ”」の効果を探求する著書を読んで感心したものだった。もともと新聞社に勤めていたらしいということは知っていたが、本書には安定した職業を投げ打って俳句一本の道に入った時期の話もちらっと書かれていて興味深かった。

 もし俳句に切れがなかったなら、ほかのさまざまな言葉遊びと同じように早々と時の波間に忘れ去られていたにちがいないが、実際はどうであったかといえば、俳句は時がたつにつれてますます多くの人々に親しまれるようになった。それはこの極小の詩の中に切れというはるかな時空への小さな入口が開いているからだろう。だからこそ飽きないのである。いったんこの俳句という極小の詩の世界にまぎれこむと、誰でもどこまでも続く桃の花咲く小道を歩いているような楽しみの虜になってしまうだろう。


俳句が生まれた室町時代の精神に、その発生の根源を読み解こうとする、こんな鋭いひらめきの一文があった。

 料理も俳句も剣術も生け花も、興味深いことに、どれも室町時代に誕生している。こうした文化のすべてが室町という時代を母胎にして生まれ、室町という時代の精神を共有している。柳生石舟斎がお通に「剣道で花を生ける」といえるのはそのためである。芭蕉が「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其貫道する物は一なり」(『笈の小文』)と書き残すことができたのもそのためであるにちがいない。芭蕉がここにあげた人の中で西行だけは鎌倉時代の人であるが、ほかは宗祇も雪舟も利休もみな室町時代の申し子たちだった。

日本料理(茶の湯)、俳句、剣術、生け花…現在いわゆる日本文化と呼ばれるこれらが、全て下克上の世に生まれたというのは、どういう意味を持っているのだろうか。考えてみると興味深い。


筆者は、定型に縛られながら俳句を詠むという行為は、「自分を捨てる」ことだと考える。

 俳句は十七音しかない。いいたいことの大半は潔くか嫌々ながらか、どちらにしても捨てなければならない。いいたいことにこだわっていては俳句にならないからである。いいたいこと、いいかえると自分自身へのこだわりを捨てることが俳句にとっては大事である。
 同じことを人間の側から眺めると、俳句とはその人をその人自身から解き放つ型式であるということになる。人間は誰しも自分自身に縛られて生きているのであるが、俳句には十七音という制約があるために俳句を詠む人は自分を縛る自分を捨てなければならない。
 俳句という型式のこの特徴が俳句を詠む人の生き方に影響を及ぼすことがある。反対に、そうした考え方の人が俳句という型式に魅せられるということだろうか。

「私が」「俺が」と声高に叫ぶことの多い時代に、一石を投じるものとして、俳句は現代にも大きな意味を持つと言えるのかもしれない。