『これがジャズ史だ その嘘と真実』
かなり分厚い本だったし、そもそも既存のジャズ史にもまだ詳しくないのに「その嘘と真実」って言われても…というのはあったが、とりあえず図書館で借りてみた。
読んでみたところ、筆者が「嘘」だと言いたかったのは、従前の日本のジャズジャーナリズムがあまりにもアメリカ現地のジャズシーンとかけ離れていた、ということらしい。日本のジャズ雑誌などでは「スイングからビバップ、クール、ハードバップ、モード、新主流派、フュージョン、フリージャズ、伝統回帰」といった一直線の進化として語られがちだったけど、年に数回は渡米して現地を肌で感じてきた筆者に言わせれば、フュージョン全盛の時代にもスイングのプレイヤーはいたし、それを目当てにする聴衆もいたそうだ。まあそりゃそうだろうけど。
それに何より、我々が耳にするレコーディングされた音源は、あくまでアーティストのある一瞬を切り取ったものに過ぎない。即興や変化を旨とするジャズ本来の性質からして、レコードという点を追って線にするのは無理がある…という主張ももっともに思う。
つまり、ジャズとは「頭で考える音楽ではない」ということだろうか。
2,3印象に残った主張のメモ。
- ジャズとはさぼることと見つけたり
- 歌を忘れたJAZZ
- ジャズ史にユダヤ系アメリカ人の果たした役割
- パーカーを聴くことによって変わりもしない人生ならば