『田中角栄 その巨善と巨悪』

田中角栄―その巨善と巨悪
衆議院選挙が近付いてきたから…というわけではないが、転勤族とはいえ現在新潟に住んでいる者として田中角栄について少しは勉強してみたくなって、図書館で評伝を探して読んでみることにした。もちろん地元の偉人だから図書館の郷土関連の書架も一連の角栄本が大きく占領しているわけだが、それらを見比べて比較的冷静な評伝ということで本書を選んだ。あとがきで筆者もそのように慎重に筆を進めたと書いている。

 新潟県の農村で正義感が強く、村のリーダーになるような青年の多くは社会党を支持していた。
 田中角栄社会主義共産主義が大嫌いである。しかし、まことに皮肉なことだが、田中を熱心に後押しし越山会(引用注・新潟県における集票マシーンとなった田中角栄の後援会)のエンジン役になっていった若い人々の多くは、農民運動の支持者だった。極端な言い方をするなら、田中は日農(引用注:日本農民組合、農民の社会主義団体)の地盤を食い荒らすことによって農村から都市への包囲作戦を進めた。
「メシも食えない、子供を大学にも出せないという悲しい状態を解決するのが政治の先決だ」という田中の発想は、自らが大嫌いな社会主義の原点に限りなく似ていた。田中社会主義である。
(中略)後のことになるが、史上最年少の大蔵大臣に就任したとき、東京タイムズ記者をしていた早坂茂三を政治秘書にする。早坂は学生運動の猛者で公安に知れた名だったが、田中は早坂にこう言った。
「オレはお前の昔を知っている。しかし、そんなことは問題じゃない。オレも本当は共産党に入っていたかもしれないが、なにしろ手から口にものを運ぶのに忙しくて勉強する暇がなかっただけだ」

この辺の、「みんなが豊かになるにはどうすればよいか」、それも何十年規模の迂遠な計画ではなく、明日にもすぐに救われるにはどうしたらよいかをとことん追求していったのが、田中角栄という人の原動力だったのは間違いないと思う。

 経済が急テンポで成長するときには、豊かな者と貧しい者との格差が必ず開く。その格差を埋める手を打たないと、貧しい部門に不満が鬱積し社会は不安定になる。また成長の結果、公害、インフラ不足、物価高騰などが生じて、成長そのものの足を引っ張ることになる。
 中央から地方への財政資金の流れは、この不均衡を是正するうえで大きな役割を果たしたのであり、その資金の仲介者となったのが自民党だった。五五年体制とは極言すれば、中央の金を地方に流す政治システムのことでもあった。
 現在の悲劇はその資金の流れが役割を終えたにもかかわらず、つまり一部の地域は別として中央と地方の格差が埋まり、むしろ中央に住む者の税の負担感が増しているにもかかわらず、この政治システムにピリオドを打てるだけのエネルギーと構想力を持つ政治家が現れないことだ。田中のつくったものを、田中ほどのバイタリティーをもって崩すことのできる者がいない。
 与党の自民党の中にはこの矛盾に気づいている者もいるが、悲しいかな、この資金の流れをせき止めようとすると、自民党の自己否定になってしまう。また、野党側にも、自民党のそうした構造に鉄槌を加えるに足る、総合的なビジョンを打ち出せる者がいない。

本書が出版されたのは平成10年(1998年)のこと。2001年の小泉首相誕生よりはるか前の記述だが、それからでも既に十年近くが経とうとしている現在、政権交代がテーマとなっているこの度の衆議院選を前にこの部分を読むと、なかなかに感慨深い。


50歳の頃に覚えてから生涯愛したゴルフについてのエピソード。

 側近にゴルフを勧められると、「止まっているボールを打つのか」と渋ったが、プレーしながら長距離を歩くことができると知って始めることにする。そのときの言葉が面白い。「ゴルフの本を三貫目ほど買ってこい」と言ったのである。ゴルフは本で学ぶものではないと言われても、耳を貸さず、とうとう三か月で読破した。
 それから東京・赤坂にある練習場で一日四、五百発打つ毎日となる。これも三か月。
 初めて回ったコースは埼玉県の狭山カントリーで、決してやさしいコースではない。ここで五三と五四、グロス一〇七で回った。
 以来ゴルフに病みつきとなる。一日に二ラウンドすることもめずらしくない。ときには四ラウンドもする。最多記録は四・五ラウンド。パートナーは疲労困憊。顎を出し、前半と後半を交代する。

一日に4.5ラウンド!!