『新源氏物語(上)』

新源氏物語 (上) (新潮文庫)
帰新の途中で読了。源氏の色男ぶり…というか、あっちの女性へもこっちの女性へも優しい八方美人ぶりに終始苦笑。こんな話だったっけ? (いや、こんな話だったのだけれども)
明石から帰って来た源氏と紫との会話。

 紫の君は、再会のよろこびにすこし心がおちつくと、
「明石のかたは、あちらに置いていらしたの?」
 と心がかりな風をみせてたずねるのだった。
(中略)
「美しいかたなのね? さぞ……」
 紫の君は、源氏の顔色を見て、さまざまな思いが、これも胸にあふれるらしく、つと顔をそむけて、
「お心のうちに棲んでいるのは、わたくしだけじゃなかったのね……つまらない……」
 と、すこしばかり拗ねていう、その可憐さ。
 この人もいとしければ、かの浦に住む人も可愛いのだ、と。
 この人がいとしければこそ、かの人もいとしいのだ、と。
 紫の君あっての、明石の君だ、と。
 それをどうして知らせられようか。男の愛はいくつもの容器(いれもの)があって、そのどれもが真実を湛えているのだ、ということを、どうやって女人に理解させられようか。

…この辺のやりとりは、もちろん原文にはないフィクションなので、田辺聖子さんの源氏観が色濃く現れていて面白いと思う。田辺版源氏物語では、明石落ち以前と以降で光源氏の性格がだいぶ変わってしまう。私は明石から戻って以降の老成し権力を掌中にした光源氏よりも、明石前のやや軽佻浮薄で本当に欲しい人をどうしても手に入れられない頃の光源氏が好きだ。
空蝉、夕顔、葵の上、六條御息所、そして藤壺。一度はかりそめの愛を結びながら、その後二度と手の届かない存在になってしまった女…というのが、源氏物語前半の主題になっているように思う。
私が思うに源氏物語は、「何でも手に入る立場の人が、どうしても手に入れられないものを希求する」物語だ。