『良寛を歩く 一休を歩く』

良寛を歩く 一休を歩く (NHKライブラリー)
以前も書いたが、いま新潟県出雲崎町はちょっとした観光繁忙期を迎えている。
その原因の一つはジェロのデビューシングル「海雪」の舞台に取り上げられたことで、町がシングルを買った町民に500円の補助金を出すという予算を組んだのも話題になった。
もう一つの原因は、江戸時代末期の放浪の禅僧・良寛出雲崎で生まれてから、今年で250周年にあたること。新潟以外ではどれだけ盛り上がっているのか知らないが、県内ではちょっとした良寛ブームが起きているのである。


そういうわけで、私も最近ちょっと良寛という人に興味を持つようになった。この前図書館で良寛関連の本を探していた中で、面白そうだった本書を借りてきた。筆者の水上勉氏が、NHK良寛と一休の足跡をたどるドキュメンタリー番組をもったときの取材をまとめたもの。
良寛が生きていた時代から200年経っているわけだから、無論当時とは風景がガラリと変わってしまっているわけだが、「現場に行って感じてみる」という取材の大切さがよく分かる。良寛が晩年を過ごした庵を冬に訪れてみて、その雪深さに驚くくだりなどはまさに現場に立ってみてこその感想。
それが端的に表されている、本書の最後の一文。

 何度もいうようだが、やっぱり歩いてみるものだ。歴史家や学者の教えてくれないことがわかってくる。


ところで、良寛…というと、村の子供たちと手毬をついたりかくれんぼをして遊んでいる姿が想起される。現代に生きる我々からすると、それはどうしても牧歌的な風景に思えるのだが、筆者はその裏に隠された悲哀を指摘する。
というのは、良寛が生きていた時代の中越地方は、度重なる信濃川の氾濫で幾度も飢饉を迎えており、多くの少女たちが関東へ売られていった記録が残っている。上州木崎には、そうした越後蒲原出身の女郎たちの悲しみを歌った「木崎音頭」という唄が今も残っているそうだ。
つまり、良寛が遊び相手になっていた子供たちの少なからぬ人数は、家の困窮のために売られ、あるいは飢饉の口減らしのために奉公に出されていたに違いない、と推測するのである。そう考えると、手毬やかくれんぼ遊びの無邪気さが、途端に悲哀をまとって思える。相手をしていた良寛の内心は、如何様であったか…?


水上勉には、そのものずばり『一休』、『良寛』という長編小説(評伝?)がある。こちらもいずれ読んでみたい。
良寛 (中公文庫)一休 (中公文庫)