松江:島根県立美術館

各所を巡回している「モディリアーニと妻ジャンヌの物語展」を見てきた。

私はアメデオ・モディリアーニという画家についてよく知らなかったのだが、以前から割と興味を持っていたつれあいによると、妻ジャンヌとのドラマティックな生涯で有名とのことだった。

展示された作品を見て解説を読んでいくと、その悲劇的な最期ゆえにどうも必要以上にロマンティックに評価されているのではないか…というのが率直な感想。とくにジャンヌについては、ある種のスタイルを持った女性であったことは間違いないと思うが、その絵に関しては正直あまり見るべきところがないように思った(…という感想をつれあいに言ったら反論されたが)。
モディリアーニの作品もジャンヌの作品も、どちらも病的な絵なのだが、モディリアーニのほうが病が行き着いた果てにある一種の美というものを感じられた。


ミュージアムショップで売っていた、池田満寿夫の評論集『私のピカソ 私のゴッホ』(asin:4122014468)という文庫本を購入。「私のモディリアニ」というエッセイの中に、人物画に固執し続けたモディリアーニについてのこんな一節があった。

 モディリアニと常に対比されるユトリロは逆に風景画だけで独立した人物画は一点も描いていない。…(中略)…ユトリロにしろ、モディリアニにしろアルコール中毒だったわけだが、この徹底した単一のモチーフに対する固執は、アル中だったからだろうか。両者ともモディリアニは風景画に、ユトリロは人物画に確固たるスタイルが見つからなかったからかもしれない。…(中略)…ユトリロはアル中で生き長らえたお陰で作品の質は低下し醜態をさらした。ベルナール・ビュッフェは四十歳を過ぎてからは名声に反比例して明らかに作品の方は荒れて来ている。ピカソマチス、クレー等は様式を変え、様々な実験を遂行することで停滞を克服して来たが、単一のスタイルを固執し続けたユトリロやモディリアニやビュッフェのようなタイプの画家は衰退こそすれ、過去の作品を凌駕するのは難しい気がする。ピカソが青の時代を一生続けていたとしたら、やはり衰退したであろう。