『尾崎翠』

尾崎翠 (文春新書)
この尾崎翠という鳥取生まれの女性小説家を、私は鳥取市立中央図書館の「郷土コーナー」を眺めていて初めて知った。
しかしどうやら「はてな」にはこの方の熱烈なファンがいるようで、詳細なはてなキーワードが作成されている。キーワードの冒頭にはこうある。

尾崎翠
(1896-1971)花田清輝太宰治ら文学者に絶賛された伝説的作家。


尾崎翠自身は75歳まで生きたのだが、いろいろな事情があって生涯にものした作品の数は少ない。当時はまだまだ女性の社会進出が始まったばかりで、鳥取という田舎生まれの元・文学少女が作家になるというのも、家族や周囲の理解がなかなか得られなかったようだ。
翠はいったんは鳥取の漁村で教師になるが、作家になる決心をして東京の大学に入る。しかしそこで教えられていたことは自分が求めていたこととは違ったため、すぐに中退。収入のない中をやりくりして過ごしていた東京時代には、同じく文学を志していた林芙美子らとの交流もあったようだが、人付き合いというものが苦手(嫌い)だったため、生活は孤独だったようだ。
そうした中で『第七官界彷徨』などの優れた作品を発表した翠だったが、薬物中毒から精神耗弱を来たして故郷鳥取に帰り、そこで死ぬまでひっそりと暮らすことになる。世間の翠を求める声にもかかわらず、鳥取に戻ってからは筆を折って二度と小説を書かなかったようだ。
鳥取に戻ってから残した数少ない文章のうち、故郷を描いた詩が残っている。

ふるさとは
映画もなく
友もあらず
秋はさびしきところ。
母ありて
ざるにひとやま
はだ青きありのみのむれ
われにむけよとすゝめたまふ
「二十世紀」
ふるさとの秋ゆたかなり。
むけば秋
澄みて聖きふるさと。はつあきのかぜ
わが胸を吹き
わが母も
ありのみの吹きおくりたる
さやかなる風の中。

…東京の生活と鳥取の生活との落差を、鳥取名産の二十世紀梨のかご盛りに象徴しているのが、寂しすぎる。老婆心ながら「ありのみ(実)」とは梨のこと。「なし=無し」に通じるのを避けた雅語。


翠が短期間に残したその小説は(私はまだ読んでいないのだが)、当時流行していた自然主義文学に対するアンチテーゼとでもいうべき特異な心理世界を描写したものだそうで、今でも一部に熱烈な支持者がいるようだ。
今回私が読んだ、その名もずばり『尾崎翠』という新書を書いた作家の群ようこ氏は、「私は『第七官界彷徨』を読んで、日本の小説はこの一作でいいとすら思ったこともある。」と言い切るほどの信奉者。
作品を読む前に翠の生涯を知ろうと思ってこの新書を借りたのだが、ほとんど群氏のラブレターと言ってもいいこの本は、「翠を世に知らしめたい」という意図からだろうが、全編の3割から4割くらいが翠の小説の引用ないし紹介になっていて、内容が薄かった。


次はぜひ尾崎翠の作品そのものを借りてこよう。